行きすぎた標準化

 ヨーロッパでうまくいった営業プロセスをそのまま全世界に展開すべきだろうか、それとも各現地法人に委ねるべきだろうか。最新のISO(国際標準化機構)標準に準拠してプロセスを細かく規定し、これを資料にまとめるのがよいのか、それとも従業員を研修し権限委譲を進めれば、品質の向上につながるだろうか。外科医を看護師のように、あるいは会計士を機械工のように管理して、仕事の質は高まるだろうか。

 およそあらゆる業界のビジネス・リーダーたちが、プロセスをどのように扱うべきかをめぐって、このような疑問を抱えている。

 プロセスのなかにはその性質ゆえ、定義や標準化になじまないものがある。それは、科学よりもアートに近いといえる。そこで本稿では、標準化すべきではないプロセスは何か、どのようにアート的プロセスと科学的プロセスを組み合わせればよいのかについて紹介したい。

「融通を持たせるべきプロセスがある」という考え方は、1世紀にわたる標準化への取り組みに挑むものである。プロセスの標準化は、ビジネススクールで教えられているほか、シックス・シグマ活動の一部でもあり、世界中のマネジャーやコンサルタントがこれを実践している。

 数え切れないくらいの企業がトヨタ生産方式(TPS)を模倣し、品質と効率を目覚ましく向上させてきたが、このTPSは、徹底した業務の標準化に、ジャスト・イン・タイム(JIT)の部品調達、バラツキの「見える化」といった施策を組み合わせたものである。

 くわえて、プロセスの標準化はサービス産業のほとんどにも普及しており、それなりの成果を上げている。

 ところが、その成功ゆえに、標準化は行きすぎてしまった。標準化に適した業務とそうではない業務をほとんど区別せずに、何もかもを標準化の対象にしてきた。