過重労働はつまるところ、損失のほうが多い「収穫逓減」的な行為である。長時間労働の常態化を避けるべき理由を、数々の研究結果を基に報告する。
マネジャーは従業員に対して、長時間働くことを期待する。どの時間帯であろうとメールに応じ、夜間や週末や休暇中などの勤務外時間も、文句を言わず快く仕事に捧げてほしいと望んでいる。こうした状況下では、部下はほとんどなすすべがない。過重労働とは、組織ピラミッドの上から下へと作用するものなのだ。
これは過重労働に関する説明の1つである。人々が長時間働くのは上司に要求されるから、という説だ。(2015年8月に『ニューヨーク・タイムズ』紙が報じたアマゾンに関する記事も、主にこの説に沿っている〈英語記事〉。)
しかし長時間労働については、他の解釈もある。金銭的な動機、企業文化、そして瞬時にオフィスとつながるテクノロジーの3つが織り成す渦に、シニアマネジャーも含めて誰もが翻弄され漂流している、という説だ。ここでは規範を決める人物は存在しない。誰もが、自力では制御できない大いなる力に反応しているだけだ。
さらにもう1つ、人間心理に注目した解釈もある。この説によると、人は胸中にあるさまざまな動機がないまぜになって、長時間働いてしまうのだという。たとえば功名心、男らしさの誇示、強欲、不安感、罪悪感、喜び、自尊心、短期的な報酬の魅力、自分の重要性を示したいという願望、過剰な義務感、等々だ。罪悪感や不安感などネガティブなものも含まれるが、その他の多くはポジティブなものである。実際に複数の研究で、仕事は家庭生活に比べてストレス度が低いことが判明している(英語記事)。人によっては、職場は自信を持って状況をコントロールできる天国のような場所になりえるのだ。
過重労働に関する説明を小説『白鯨』になぞらえるなら、上記の1つ目の説は捕鯨船ピークォドとエイハブ船長に、2つ目は海そのものに、3つ目は巨鯨モビー・ディックに焦点を当てたものであろう。問題を複眼的に検証すれば、1つの視点だけに注目するより、確かに理解しやすくなる。とはいえ、『白鯨』が良書なのか、あるいは700ページの分厚いドアストッパーでしかないのか、それでわかるわけではない。
過重労働について私たちが自問すべき重大な問いは、「責任は誰にあるのか」ではない。「それによって成果が上がるのか」という、もっと基本的な問題だ。長時間労働によってアウトプットの量と質は上がるものと私たちは思っているが、それは本当だろうか。より多くの達成につながっているのだろうか。
ある大規模調査によると、長時間働くべきどんな理由があっても、過重労働には何一つよいことはないという。そもそも、長時間労働をすれば成果が上がるわけではないようだ。
ボストン大学クエストロム・スクール・オブ・ビジネス教授のエリン・リードがコンサルタントを対象に行った調査で、マネジャーは週80時間働いた従業員と80時間働く“ふり”をした従業員を区別できなかった(英語記事)。労働時間の短縮を正直に願い出た従業員は、上司からペナルティが課された。しかしリードの検証では、そのような従業員の成果が明らかに低かったという証拠、または長時間働いた従業員がより多くを達成したという証拠は何も出てこなかった。