2015年9月15日、オバマ大統領は政府機関に対し「行動科学の知見を活用せよ」と公式に発令した。人間の不合理を認め、個人と組織を正しい方向へと導くために、行動科学に基づく手法の効果がますます明らかになっている。

※ハーバード・ビジネス・レビュー編集部注(2023年8月4日):本稿は、撤回された学術論文を参照しています。

 

 人間の行動と意思決定に関心のある人々にとって、2015年9月15日は忘れられない日となりそうだ。オバマ大統領はこの日、政府機関に対し、「国民によりよいサービスを提供するため」に行動科学の知見を活用するよう命じた。

 連邦政府機関が受けたこの大統領命令には、次の要請が含まれている(英語原文)。1.行動科学の知見を適用すれば「公共福祉、プログラムの成果、プログラムの費用対効果」の改善が見込めるような、政策や取り組みを特定すること。2.行動科学の知見を活用するための戦略を策定すること。3.必要に応じて専門家を採用すること(ホワイトハウス社会・行動科学チームによるこちらの報告書 は、行動科学の知見を駆使してすでに行われたいくつかのプロジェクトについて考察している)。

 行動経済学、心理学、行動意思決定論を含むさまざまな分野の学者たちは近年、「人は合理的な選択ができないことがしばしばある」という証拠を蓄積してきた。今回の大統領命令にはそれが反映されている。人間はさまざまな状況下で、自身の利益に反する愚かな判断を下してしまうものだ。ほとんど運動せずに過食をしたり、十分に貯蓄せずに散財したあげく膨大な借金を抱えたりするのも、その一例である。

 意思決定に関する文献で十分に裏付けられているとおり、こうした合理性からの逸脱は、時代にかかわらず誰にでも一貫して起こる。たとえばほとんどの人にとって、50ドルを手に入れる喜びよりも、50ドルを失う痛みのほうが大きい。だが、十分に合理的であればそうはならないはずだ。また、人は意思決定をする際、頭に浮かびやすい情報(たとえば最近の会話など)を過度に重視し、より適切だが思い出しにくい情報を見過ごしがちである。これもまた、いわゆる「合理的エージェント」なら取らない行動だ。

 公共政策ではこれまで、人の行動を解釈する際に、合理性に関する思い込みに頼りがちとなり、最善策にたどりつけないことも多かった。たとえば、国民はマスメディアを使った大々的なキャンペーンにさらされる時がある(禁煙やシートベルト着用の呼びかけなど)。これは、大量のメッセージを浴びせかければ、国民はそれを自分に有益な形で解釈できるという前提で行われている。ところが、この手のキャンペーンはたいてい奏功しないばかりか、場合によっては逆効果になる。

 行動科学の知見はこの十数年にわたり、納税や医療、消費者の健康、気候変動の緩和などに関わる政策に適用されてきた。英国内閣府が立ち上げた、行動インサイトチーム(BIT)の取り組みを紹介しよう。

 BITは政府の政策とサービスを向上すべく、「ナッジ」を活用してきた。ナッジ(肘で軽くつつく、控え目にうながす)とは、リチャード・セイラーとキャス・サンスティーンが2008年に出版した『実践 行動経済学』で使った言葉である。他者の行動をこちらが意図する方向へと変える際に、特定の選択肢を禁止したり、経済的インセンティブを大きく変えたりせずに行うプロセスを指す。

 ある実験で、BITは英国運転免許庁と協働し、自動車税の滞納者に送付する手紙の表現を変えてみた(英語報告書)。新しい手紙では難しい法律用語を使わずに、「税金を納めなければ、あなたの車は使えなくなります」といった表現を取り入れた。また、督促を我が身のことと感じてもらうため、一部の手紙には対象車両の写真を同封した。この文面の変更によって、税金を納める人の数は増え、特に写真が滞納者の行動を劇的に変えた。

 ナッジの他の成功例(BITとは別の事例)を見てみよう。カリフォルニア州立大学のP・ウェズリー・シュルツらは、同州サンマルコスで、エネルギー使用量がきわめて多い住民に手紙を送った(英語論文)。彼らに省エネを促すため、手紙の中で近隣住民のエネルギー消費量との比較を示したのだ。すると、自分と似たような身分である近隣住民より消費量が多いと気づいた彼らは、ネガティブな感情に強く捕らわれた。これが行動の変化につながり、エネルギー消費量は10%減ったのである。