コントロールの1つ目の意味は、「1つ(あるいは2、3)の変数の影響を分離すること」(レッドマン)。つまり制約を設けて、特定の変数群が実験の結果に影響を及ぼさないようにすることだ。たとえば薬の臨床試験では、参加者の食習慣が投薬の効果に影響する懸念があるかもしれない。このため、実験の期間中、患者全員に同じ食事をとってもらうことで、これを「コントロール」する。

 同様に掘削実験では、あなたは「岩盤の想定される硬さ」による影響を考慮に入れたいと思うかもしれない。そこで、掘削の(硬さによる)難しさを想定し、それに基づいて油井を15対のペアにする。これにより、硬さという変数をコントロールできる。また、「掘削装置」や「作業員」といった要因についても、実験に及ぼしうる影響をコントロールすべきかもしれない。

 多くのランダム化対照実験は実験室で行われる。「実験室の環境では、物事をコントロールしやすい」からだ(レッドマン)。だが彼の知る限り、「油井掘削実験室」など存在しないため、現場で最善を尽くすしかない。

 たとえば、岩盤の硬さをコントロールする別の方法として、同じ場所で15メートル離れたところに掘削装置を2つ設置し、新旧のドリルビットで乾いた岩盤を掘ってもよい。これによって、似た状況下で両者がどんな性能を示すかに関して、より信頼性の高い結果が得られるだろう。だが、これを実行するには多額の費用がかかり、その過程で儲けが生じるわけでもない。したがって、どの程度のコントロールが費用に見合うかを見極めなければならない。

「コントロール」の2つ目の意味は、研究対象とするグループ、つまり「対照(コントロール)群」と「処理(治療)群」に関するものだ。ここでのコントロールとは「現状のやり方」(例:従来のドリルビット)を意味し、処理とは「新しいやり方」(例:新型ドリルビット)を意味する。

 このことが重要なのは、実験の結果を判断するには「何と比較して」なのかを問う必要があるからだ。単に新しいドリルビットで掘削を始め、「こっちのほうがいいね」などと判断するわけにはいかない。それを対照群と比較する必要がある。ここでは従来のドリルビットで掘削する15カ所の油井が、判断の基準値となる。

 同様に、新薬の試験では「プラセボ効果」を把握しなければならない。これは被験者が、自分は治療を施されているとただ思うだけで効果が表れる現象だ。そこで、対照群を処理群とまったく同じように扱って、処理群での改善を対照群との比較で観察する。

 だが、個々の油井あるいは被験者を、対照群と実験群のどちらに入れればよいのだろうか。また、そもそもどの対象を実験に加えるべきなのか。ここで「ランダム化」が登場する。実験者が気づいていない要因(たとえば、臨床試験における患者の睡眠パターン)の影響をなくすために、被験者を対照群か処理群にランダムに割り振るのだ。油井のペアを例にとると、各ペアのどちらで新しいドリルビットを使うかを、コイントスなどでランダムに選ぶ。

 これがレッドマンの言う、「隠れたバイアスを実験から取り除く」ということだ。つまり、全員同じように健常な人だけを処理群に選んでしまい、全員が改善しても、何も証明したことにはならない。あるいは新しいドリルビットで掘る油井を決める時、無意識のうちに「最も掘削が容易」な15ヵ所をつい選んでしまったのであれば、性能を本当に確かめることはできない。

 得られた結果は本当に、関心対象の独立変数によって生じたものなのか(この改善は薬効が原因なのか)。ランダム化(および標本数の大きさ)によって、この点に関する自信を高めることができる。したがって「実験を超越した一般化が可能」となるのだ。

 参加者を振り分ける作業は、A/Bテストと同じように思われるかもしれないが、確かに2つは似ている。諸要因がコントロールされ対象がランダムに割り振られていれば、A/Bテストはランダム化対照実験となる。だが、ランダム化対照実験がすべてA/Bテストと同じというわけではない。

 上述してきた事項を、レッドマンの言葉でまとめてみよう。「要するに、関心対象の独立変数を分離する、ということです。ランダム化対照実験とは、既知の要因を考慮するためにコントロールし、未知の要因を考慮するためにランダム化する、という実験です」