-
Xでシェア
-
Facebookでシェア
-
LINEでシェア
-
LinkedInでシェア
-
記事をクリップ
-
記事を印刷
現代社会は、日々、生産性の向上が求められている。しかし同時に、新しい何かを生み出す「創造性」もビジネスパーソンに不可欠である。本連載は、新たな価値を提供し続けるトップクリエイターに、創作の過程で不変とするルールを語ってもらうことで、その源泉を探る。第3回は装幀家の菊地信義氏が登場。(写真/鈴木愛子、編集協力/加藤年男)
連載「ひらめきのしくみ〜これだけは変わらない私のルール〜」の記事一覧はこちら。
装幀者としての成熟など誰も望んでいない
いま、どれだけ鮮度あるものをつくれるか

菊地信義(きくち・のぶよし)
装幀家
1943年、東京生まれ。1965年、多摩美術大学デザイン科中退。広告代理店などを経て、1977年、装幀者として独立。以来、中上健次や古井由吉、俵万智、金原ひとみなど1万8000冊以上もの書籍の装幀を担当する。1984年、第22回藤村記念歴程賞受賞。1988年、第19回講談社出版文化賞ブックデザイン賞受賞。
装幀家
1943年、東京生まれ。1965年、多摩美術大学デザイン科中退。広告代理店などを経て、1977年、装幀者として独立。以来、中上健次や古井由吉、俵万智、金原ひとみなど1万8000冊以上もの書籍の装幀を担当する。1984年、第22回藤村記念歴程賞受賞。1988年、第19回講談社出版文化賞ブックデザイン賞受賞。
20代の10年間、私は小さな広告制作会社のアートディレクターとして、広告デザインの仕事をしていた。
そのときは常に10人くらいのチームで動いていたが、私は元来、チームプレーを楽しめる性格ではない。また折しも1973年にオイルショックが起こって日本経済は大打撃を受けており、「独立して一人でできるデザインの仕事はないか」と考えたことが、私が装幀の世界に入るきっかけである。