ビン・ラディン殺害から5年を迎え、当時のCIA長官とその補佐官がミッションから得た教訓を語る。説明責任の明確化、仮説を疑うこと、不測の事態への準備など、ビジネスにも共通する示唆がある。
2016年5月2日。世界最重要の指名手配テロリスト、オサマ・ビン・ラディンを死に追いやった軍事作戦から、この日で5年の月日が経つ。2001年9月11日の同時多発テロ事件以降、焦眉の急として世界を舞台に10年以上も続いた追跡劇は、彼の死をもって達成された。
ビン・ラディン殺害作戦は、アルカイダ上層部壊滅活動における決定的な瞬間であった。過去に3代のCIA(米国中央情報局)長官たち、そして無数の上級局員、作戦担当官、分析官、技術者、サポートチームが一連の活動を展開し、重要な情報の断片を手に入れてはいた。だが、我々が(パネッタはCIA長官として、バッシュはその首席補佐官として)2009年初めにCIAの本部ラングレーに着任した時点で、ビン・ラディンの居場所について確固たる手掛かりはなかった。消息は途絶えていたのだ。
強い重圧の下で多様な任務に尽力する、大規模で複雑な組織をいかにマネジメントすべきか。2009年から2010年にかけてのビン・ラディン捜索は、この点について多くを教えてくれた。これらの教訓は、ラングレーに留まらず、さまざまな場所で通用するはずだ。
●2009年、着任時の状況
CIAは、米国防衛のためにリスクの高い任務を帯び世界的に活動する機関だ。その分析は、「要求の厳しい顧客」とでも言うべき、他ならぬ米国大統領によって毎朝精査される。その成功はほとんど知られることがなく、失敗は伝説のように語り継がれる。つまりCIAは、政府全体でも最も過酷な仕事を担う機関の1つである。
CIAの人材は、各々のキャリアで専門技術に長けたプロフェッショナルで構成されている。局員は往々にしてキャリアの早い時期に諜報の世界に入り、そこに留まっている。仕事の機密性が高いため、局員はたいてい内輪の人間だけを信用して話を打ち明け、これが外部の人々の懐疑心を招く。そして無理もないことだが、諜報活動という生死に関わる仕事を新たな方法で遂行するCIAに対し、抵抗感を示す人は多い。
政府の大規模な官僚機構において、優先順位を変えるのはただでさえ難しい。それをCIAで推し進めることは、2009年にはなおさら困難であった。我々が着任した当時、対テロ任務がマスコミの厳しい批判と政治的詮索にさらされていたためだ。
我々はビン・ラディン捜索についてブリーフィングを受けた時、すべての手掛かりを追跡しているチームがあると告げられた。だが我々が見たところ、ミッションは切迫感に欠けており、上層部から必要かつしかるべき関心を寄せられていなかった。局の上級幹部が最重視する課題ではなかったのだ。以下は、我々がこの状況に対処するなかで得た知見である。