4年に一度のオリンピックは、金メダリストの極上の笑顔を見ることができる。今回のリオオリンピックでは、とりわけ多くの日本人メダリストの笑顔がテレビに映し出された。一方で敗者の表情はこちらまで辛くなるが、アスリートの偉大さを究極にまで表してもいる。

勝者の笑顔も敗者の悔しさも、
挑戦者ならでのもの

 オリンピックは、人の極上の笑顔が見られる最高のイベントである。目標を達成した人の表情の美しさは、掛け替えがない。「いい表情」という表現のなかの最上級のものが見れるのだ。

 彼ら・彼女らの表情が素晴らしいのは、これに賭けてきた想いの裏返しである。4年に一度という意味は大きく、スポーツにもより選手寿命は異なるが、どんな一流の選手でも、そのチャンスは2、3回、多くても4回だろう。そのチャンスをものにするために4年という年月を過ごす。肉体を酷使するばかりでなく、食事や睡眠など日常生活に関わることも、すべてはオリンピックに最高のコンディションで挑むために最適化される。子どもを抱くのも、鞄をもつのも筋肉への負担を考えるという。社会人なら生活も不安定であろう。安定した仕事につくことは稀。一流選手だった経験を活かした仕事をいまだ選択せずに、「現役」として挑戦するのである。

 すべては勝利のためだが、あらゆる競技において、勝者は敗者にくらべて圧倒的に少ない。トーナメントで5回勝ち上がって優勝する大会は、1人の勝者と31人の敗者が生まれる。このどう考えても確率の低い「目標」を目指して4年間という時間のすべてをささげるのがオリンピックに出場した選手である。さらにいえば、それでも出場の敵わなかったアスリートが無数に存在する。

 だからこそ、金メダリストの表情が晴れやかなのだ。

 そしてだからこそ、金メダルを逃した人の悔しさは想像を超えるものがある。