中国ウーバーのケース教材を執筆したハーバード・ビジネススクールのウィリアム・カービー教授が、同社中国撤退の背景と真因を示す。それは、国家規制という災難であるという。


 2015年9月、テクノロジー業界で世界屈指の経営者たちが、米国シアトルで習近平と会談した。集合写真では、時価総額合わせて2.5兆ドルの企業を率いる30人のCEOが、中国の指導者と一緒にカメラを向いて笑っている。

 その顔ぶれには、マイクロソフトのサティア・ナデラ、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグに加え、「シェアエコノミー」の寵児たちもいる。まずは、エアビーアンドビーCEOのブライアン・チェスキー。そして、中国でタクシーと自家用車の配車サービスを営む最大手、滴滴出行(ディディチューシン)のCEOチェン・ウェイ(程维)である。

 一方、この場に不在であることが目立つ人物もいる。ウーバーのCEOである、トラビス・カラニックだ。この事実は、中国でのウーバーの不吉な未来を予告していた。

 2016年8月1日、ウーバーは中国事業の売却を発表した。相手はライドシェアのライバル企業であり、そのCEOは、先述の予兆的な写真に写っている人物である。合意によれば、チェン・ウェイはウーバーの取締役会に加わり、カラニックもディディの取締役会に加わる。そして中国事業は別ブランドで運営されることになり、ウーバーは新会社の株式の約20%を握る。

 米国内の報道における主な論調は、ウーバーが中国最大のライバルとの競争に降伏して教えを受けることにした、というものだ。

 カラニックは、自社にとって中国は最重要市場だと常々述べていた。自分が中国で過ごしている時間の長さを考えると、この国の市民権を申請すべきかもしれない、という冗談を現地の雑誌で言ったこともある。タクシー運転手の数が米国の10倍という、最も急成長中の市場で成功することをウーバーは渇望した。そして市場シェアの拡大に尽力するなかで、損失も蓄積していった。

 しかし私は、ウーバーの中国撤退の理由は「ライバルたちの抵抗」というより、「政府の介入」によるものだと考えている。

 ウーバーは、中国市場に参入後間もなく、中核製品に変更を加える必要があると学んだ。当初、利用者はアカウントを開設する際にクレジットカード情報の承認が必要だったが、これは多くの潜在利用者にとって大きな障壁となった。その不利に気づいた中国ウーバーは、アリペイでの支払い機能を追加して、2014年2月の正式なサービス開始になんとか間に合わせている。

 その後しばらく、顧客と運転手の位置特定とマッチングにはグーグルマップが使われた。だが中国のグーグルマップは、対応範囲がきわめて限定的かつ不正確だった。そこで中国ウーバーは、2014年12月、百度(バイドゥ)との戦略的提携を結ぶ。資金力があり政府とのつながりもある百度が、ウーバーの投資家陣営に加わったのである。さらに、事業の円滑な運営を図るため(新たな規制に従う形で)現地にサーバーを設置し、悪名高い中国のファイアウォール(検閲)を黙認した。

 しかし、中核製品に手を加えて中国顧客にアピールできるものに変更した後も、運転手と乗客を引き込むためには膨大な出費が必要となった。初乗りの大幅割引は新規ユーザーを惹きつけたが、その割引額が運賃総額と変わらない場合も頻繁にあった。

 ウーバーは運転手へのボーナスを弾むことによって勧誘を進め、成都市ではその数が4万2000人に達した。これはロンドン、パリ、サンフランシスコのウーバー運転手の合計に匹敵する。ところが、この資本投資は意図せぬ結果も招く。運転手の間に、私腹を肥やすための走行記録ねつ造がまん延したのだ(英語記事。ねつ造の方法は、1.改造スマートフォンを使って複数アカウントを取得し、受発注を自作自演。2.ネット上の不正手配集団から偽の発注を受け、実際に走行して運賃とボーナスを取得)。

 中国における投資は高くついたものの、奏功した。地元の配車サービス2社と激しい競争を迫られたが(後に両社はウーバーと真っ向勝負するために合併)、それでもウーバーは成功していた。なぜなら、中国市場の「グレーゾーン」で運営できたからである。