米医療ベンチャーのセラノスは時代の寵児から一転、欺瞞を暴かれて凋落した。一連の顛末からは、「物語」が人々に及ぼす危険な影響が浮き彫りになる。


 人類が「物語」に寄せる奇妙で熱烈な愛に、私は常々興味を持ってきた。そして、その耽溺ぶりを探り、背後にある科学を説明するためにThe Storytelling Animal(2012年)という本を上梓した。拙著を気に入ってくれたのが、英文学を好むタイプの人々、そしてポピュラーサイエンスの熱心な読者であったのは、予想できたことだった。

 しかしこの本は、意外な人々も惹きつけた。それはビジネスのプロフェッショナルたちである。大学で英文学を教える私は知らなかったのだが、ストーリーテリングは幅広い職業において、きわめて強力なメッセージ伝達法として重宝されているようであった。ストーリーテリングは、情緒的・感覚的なソフトスキルというレベルをはるかに超えた、強い魔法のようなものである。このことがビジネス界でも知られるようになっていたのだ。

 卓越したストーリーテラーは、紙上でペンを魔法の杖のように躍らせる。その魔力で人々の頭の中に入り込み、感情と思考を変え、ひいては行動にも影響を及ぼす。企業はいっせいに物語を求め、その力を少しでも得ようとしてきた。

 ストーリーテリングを理解しようとする動きがビジネス界で加速するなか、それ以外の伝達法や説得法に勝る利点が大きくもてはやされている。しかし優れた手段がどれもそうであるように、人間は物語を善にも悪にも使える。そしていま、物語の暗黒面に対峙する時が来ているのだ。

 医療技術ベンチャーのセラノスを考えてみよう。