顧客という言葉は、自社の製品やサービスの受益者ととらえてしまうと狭すぎる。企業が社会的に価値ある存在になるためにも、顧客の定義を広くできないかがカギとなる。

政府にとって顧客は誰か

 先日、政府の委員会なども参加されている方とお会いしました。この方は、民間企業に勤めていて、以前はコンサルティングファームでも勤務経験がある方です。話の議題となったのは、政府の仕事において「顧客は誰か」ということです。

 企業の場合、顧客はいわずもがな製品やサービスへの対価を払ってくれる方と定義できます。コンサルタントはクライアント企業(依頼先企業)の価値を最大化すべく、ソリューションを提供します。これらは非常にわかりやすいケースです。

 一方で、学校の顧客は誰か。サービスを受けるのは生徒である子供たちですが、その対価を払うのは親御さんです。また公立高校の場合、税金を使って運営しているので、対価を払うのは国民全体であり、近視眼的に言えば、直接の提供者たりうる自治体や政府となってしまいます。このような構造の中で「子どものための教育」と言った場合の「子ども」が実際にその学校に通う子どもではなく、国全体の「子ども」という定義も出てくるので、これが現場での混乱の元にもなります。

 では政府のような国家戦略を考える際の顧客は誰か。僕はその場合「顧客は管轄官庁ではなく、当然納税者であり、国民だろう」と思いました。ところが、この方は、「その国民の定義があいまいなんです」とおっしゃいます。

 つまり、国家とは永劫的に存続しなければならない。国家は国民で形成されるが、その国民をいまの納税者と定義するのも、いまの国民と定義するのでも狭すぎる。100年、200年の計で見た場合の、国家を形成する国民にとって何が重要か。そのために、いま政府が何をやるべきか、それが顧客思考ではないかという趣旨のことをお話しされました。この方は具体的には「国家は企業が取れないような長期のリスクを取るべきではないか」と話されます。企業が投資する場合、5年先、10年先、あるいは素材産業などのように50年を睨んだ研究開発をする企業もあります。しかし、どれだけ長期志向の企業であろうと、投資家が期待するリターンの期間という上限のある「長期」となります。

 この話は政府の政策を判断する場合に軸となると思いましたが、一方で、企業もこのような思考ができないものか。自社のやっていることが、将来、その地に住む人やその地で生活する人にとってどういう影響を与えるか。実際にこういう目線で経営をされておられる経営者は何人もおられます。地方には、その地域の発展を真剣に考えておられる経営者が多くいらっしゃいます。それらを、「目線が高い経営者」と表現するのではなく、「経営を熟知する経営者」と呼ばれるために、顧客の定義をヨコ(関係者の範囲)にもタテ(時間軸)にも広げる説得力ある考え方が広まることが必要となりそうです。(編集長・岩佐文夫)