-
Xでシェア
-
Facebookでシェア
-
LINEでシェア
-
LinkedInでシェア
-
記事をクリップ
-
記事を印刷
なぜ、同じ「経営」をテーマとしながらも、経営の実務と学問としての経営戦略の間には、これほどまでに大きな隔たりが存在するのか。たしかに、実務家が経営戦略の理論をそのまま実践しても、短期的な売上には貢献しないかもしれない。しかしだからといって、経営戦略は実務の役に立たない、と決めつけるのは早計である。経営の実務と学問としての経営戦略を適切に結びつけることで、その真価が見えてくる。本連載では、長く実務の世界に身を置きながら学問としての経営学を探究し続ける、慶應義塾大学准教授の琴坂将広氏が、実務と学問の橋渡しを目指す。
連載「経営戦略を読み解く〜実務と理論の狭間から〜」の一覧はこちら。
「最適な処方箋」と
「普遍的な法則性」の二兎を追う
はたして、経営学は何を目指しているのだろうか。
その形成当初から、経営学は日々の経営に資するノウハウ(Knowhow)を提供することを目指してきた。しかし、現代はそれだけにとどまらない。社会、経済、人の心に多大な影響を与えうる、経営という行為とそれを行う個人と組織が、どう変遷し、どう存在し、どう動くかの「普遍的な法則性」を解明するべく議論を重ねている。
すなわち現代の経営学は、実学として、ノウハウや経営に対する「最適な処方箋」を提供すると同時に、科学として、経営という行為とそれを行う組織と個人に関する「普遍的な法則性」を示すという、二兎を追う狩人なのである。
ただ、それは容易ではない。なぜなら「普遍的な法則性」は、必ずしもある特定の個人や企業に対する「最適な処方箋」にはなりえず、その逆もまた然りであるからだ。
経営学の理論やフレームワークとして知られる「普遍的な法則性」は、できる限り多様な産業、企業、製品、時間軸に応用できるよう一般化されている。そのため、そのままでは個別企業がすぐに使える「最適な処方箋」にはなりえない。たとえば、マイケル・ポーターの3つの基本戦略は「コストリーダーシップ」「差別化」「集中」だが、それを理解しただけでは自社がどう明日から行動すればよいかはわからないだろう。
同じように、ある産業の、ある企業の、ある製品の、次の1週間の販売計画に対する「最適な処方箋」はきわめて特異性が高く、個別の状況に最適化されているため、いかなる状況にも当てはまる「普遍的な法則性」にはなりえないだろう。初代iMacがフロッピーディスクもシリアルポートも廃止したのは、結果的に「最適な処方箋」ではあったものの、それを予測できる「普遍的な法則性」は存在しなかった。世の中を変えるような製品やこれまでにない産業領域は、すでに確立されている「普遍的な法則性」からは生まれないのである。
したがって「最適な処方箋」を求めている人が、誤って「普遍的な法則性」を企業経営に活用しようとすると、「なんだ、この薬はまったく効かないどころか、副作用だらけではないか」と激怒することになる。同様に、「普遍的な法則性」を期待している人が誤って「最適な処方箋」を用いて経営学を理解しようとすると、「なんだ、経営学は学問の体をなさないぐちゃぐちゃな議論ではないか」と落胆侮蔑に暮れることになってしまうのである。
この状況は、経営学を活用して経営に役立てたいと考えている実務家にとっても、また経営学を探求する経営学者にとっても不幸な状況ではないか。それは、私自身の実体験からも身に染みて感じていることでもある。
実務の常識は
研究の非常識だった
私は、8年ほど実務家としての修業期間を経たのち、研究者への道を歩み始めた。
実務家としての最初の4年間は、大学生をしながら3つの小さな会社を経営していた。その後、コンサルティング会社のマッキンゼー・アンド・カンパニーに在籍してからは、日本とドイツを拠点に世界9ヵ国でさまざまな経営課題の解決支援を行っていた。
会社を経営していた頃の私は、古本屋に行っては書籍を探し求め、実際にたくさんの本を読み漁った。ただし、実務の参考になったのは経営学の教科書や戦略理論ではなく、著名経営者が説く実践的な経営手法だけである。給料日に現金を用意できるか悩み、1ヵ月先の受注を確約できるか苦闘する中で、きれいにまとまった理論は大きな意味を持たない。それよりも先輩経営者のノウハウや体験談のほうがよっぽど役に立った。またコンサルタントとして経営支援に携わるようになってからも、教科書に載っているフレームワークや理論をそのまま使うようなことは一度としてなかった。
理論を理解しても、実務に活かすことはできない。この想いは、ほとんどの経営者に共通するのではないか。では、実務を理解することで、理論の理解が進むようにはなるだろうか。
オックスフォード大学の経営学の研究課程に進学した当初、実務家としての経験を活かせば、研究者としての研鑽も順調に進むだろうという甘い考えを持っていた。しかし、その希望はすぐに打ち砕かれることになる。
一言で言うと、私にはほとんど意味がわからなかった。一流の査読ジャーナルでさえも、それをもとに経営を実践しようとしたら、ほとんど役に立ちそうにない議論が絶賛されていた。いわゆる研究書を手に取れば、そこに書かれていることは複雑すぎて、明日からの実務にはとうてい関係があるようには思えなかった。いまでこそ、それらの議論の匠と学術的な価値は理解できる。しかし当時の私には、言葉遊びにしか見えなかったというのが正直な感想である。
たとえば、コンサルタント時代は究極的に、クライアントの意思決定権者に寄与できるかが重要とされていた。彼らが判断を下すために必要な情報を限られた時間で取りまとめ、たとえ不十分な情報や不確実性の中でも、できる限り最善の判断ができるように尽力するのが仕事だった。厳密性や網羅性はそこまで求められておらず、極端な場合、サンプル数が30しかない定量調査や、数件のエキスパートインタビューに基づく判断が許容されることもあった。いわゆる「80:20」の世界、すなわち8割わかっているならば2割はわからなくていい、という世界である。
また、過去がどうであったかもそれほど重要ではない。未来を正しく洞察できるか、その一点のみに価値を見出していたからである。
一方、学術の世界ではまず、科学的なお作法に忠実であらねばならない。「インタビューをしました」ではすまされず、どのような人物を対象に、どのようにコンタクトを得たのかから明らかにする。そして事前にインタビューの構成を詳細に煮詰め、当日は誘導なきよう客観的に、すべてを記録しながら、相手のありようをそのまま引き出す。結果はすべて文字に起こし、その分析の過程も詳細に記録することで、第三者が分析を検証し、できる限りの再現性を担保できるようにする必要がある。
その結果として何を主張するかについても、自由度がほとんどない。たいていの場合、「面白い結果が出ました」では学術的な価値を持たないのである。 他の研究結果や論文を洗い直し、自分の発見がどのように解釈できるかを、研究の系譜の中に編み込み直さなければならないのだ。そこには、厳密性、網羅性、理論的な複雑性という三重苦が存在していた。
そもそも、過去を知らない時点で相手にしてもらえない。自分なりの問いを立てるために、これまでにどのような問いが立てられたのかを丹念に読み解く必要があるからだ。問いを立てるためだけに、3ヵ月以上を要することすらある(コンサルティングのプロジェクトであれば、3ヵ月もあればすべてが終わっている)。
ともに「経営」を扱っていながらも、研究の世界は、それまでの実務の常識がまったく通用しない世界であった。未来への遺産として残すべき学術的な知見を生産していく作業と、ある特定の産業の特定の事業領域において、目の前にある事業の明日の売上を立てるための作業はこれほどまでに違うのかと、途方に暮れたのを覚えている。
そして、ようやく自分なりの理解を得ることができたのは、実務から離れ、修士と博士の研究で理論にどっぷりと浸かる生活を続けた5年間を終えてからのことである。
現代の経営戦略が直面する課題
おぼろげながらも実務と理論の両面が理解できつつあるいま、私が再確認しているのは、経営学の実学としての側面と社会科学としての側面の間にある、極めて大きな断絶である[注]。そして、経営学の中でも「経営戦略」という領域では、この問題が色濃く発生しているのではないかと考えている。
たとえば財務、税務、会計、生産管理、在庫管理、配送管理という領域は、相対的に「最適な処方箋」と「普遍的な法則性」の隔絶が小さいように思える。なぜなら、数字を軸にした論理的かつ構造的な検討が可能であり、個別の事象間に存在する差異も考慮可能な範囲に収まる傾向にあるからだ。
その反面、経営戦略、マーケティング、リーダーシップ、イノベーション、アントレプレナーシップといわれるような領域は、相対的に「最適な処方箋」と「普遍的な法則性」の隔絶が大きいのではないか。多様な要因が複雑に絡まりあいながらそのプロセスや成果が決定されており、個別の事象間の差異が大きく、さらには再現性の担保が極めて難しいためである。
なかでも経営戦略は、「創発的な戦略」と言われるような、意図されない成果につながった数多くの戦略が観測されるようになり、伝統的な理解が通用しなくなっている。マーケティングやイノベーション研究の分野でも同様の傾向はあるだろう。しかし、経営戦略は環境の分析、戦略の立案、その実行から、さらには成果に繋がるまでのプロセスがさらに複雑かつ長いため、この傾向はより強くなる。
古くから存在するような競争、たとえば寡占化した市場における、代替材のない単純な商材をめぐる競争のように、「普遍的な法則性」に近いものも存在する。しかし、産業成長の中核に存在するような産業や、商品・サービスにおける勝利の方程式を説明しようとすると、途端に「最適な処方箋」と「普遍的な法則性」との間のギャップが大きくなる。
伝統ある経営戦略という領域も、経営学の流行に抗うことはできなかった。いま、まったく異なる方向を向いた二兎を負わざるをえない困難に直面しつつある。
実務と理論に橋をかける
こうした問題意識を背景として、本連載ではまず、経営戦略の領域における実務と理論の架け橋を目指す。ただしそれは、両者の中間地点を取るような、ざっくりとした解説をするというわけではない。一方では、社会科学としての経営戦略の理論的な議論を紹介しつつ、他方では、実務家に対する意味合いを問い直す。
そのためにも経営戦略の「流れ」を重視して、一つひとつの考え方の間に存在する相互のつながり、遷移をしっかりと読み解くつもりだ。それは特に、歴史的文脈という流れであり、理論的発展の経緯という流れである。
社会と経済が発達するにつれて、経営戦略もその姿と形を変えてきた。ある一つの理論が生まれてそれが支持され応用される一方で、その理論の限界が指摘され、新しい理論が台頭してきたのである。
たとえば、なぜマイケル・ポーターの競争の戦略に続いて、ゲイリー・ハメルのコア・コンピタンス経営が生まれたのか。ポーターのように、まず産業構造を分析することで企業の戦略行動を決定する方法論が一世を風靡したのち、ハメルのように自社の競争優位の源泉を丹念に紐解くことから、自社の事業領域や戦略の方向性を決定する考え方が受け入れられるようになった。
この発展を理解するためには、SCP(Structure-Conduct-Performance)理論に対するポーターの貢献、そして、その説明能力の限界に対する実証研究をひも解く必要がある。また、歴史的文脈の理解も必要である。第二次世界大戦後の大量生産時代への経済成長。安定成長期における企業間競争の時代。消費者の成熟に伴う市場の細分化と流動化。さらには、それに伴う産業構造の不安定化を理解しなければ、なぜ一斉を風靡した理論体系に対して新たな理論体系が挑戦権を得たのかは理解できない。
極めて厳密な議論に踏み込めば、乱暴に見える取りまとめをすることもあるかもしれない。実際のところ、こうした流れに対する一葉の答えは存在しないため、どれほど優れた解説をしようとも、どこからか必ず批判が登場し、お叱りを受けることになるだろう。しかし、流れを理解するための一つの方法を提供することはできるはずだ、と私は考えている。
なお、本連載は以下の大枠で進めることを予定している。
1. 経営戦略とは何か:定義、系譜、応用範囲
2. 起源を追う:経営戦略の前史
3. 経営戦略の原点:戦略計画と予実管理
4. 外部環境から考える:SCPの発展と事業環境の分析
5. 内部環境から考える:RBVの発展と経営資源の分析
6. 事業戦略を立案する:外部から考えるか、内部から考えるか
7. 全社戦略を立案する:どこまで社内に取り入れ、どこに投資するか
8. 戦略の実行:事業計画、管理会計、進捗管理、KPI設計
9. 戦略の浸透:インセンティブ、組織フィールド、リーダーシップ
10. 新興企業の戦略:意図されない戦略を、どう意図的に作るか
11. 国際的な事業環境 :国境を超える経営に、どう戦略的に取り組むか
12. 経営戦略の未来:人工知能、ロボティクス、VR/AR、IoT
1、2、3は、いわゆる「経営戦略」とは何かを、できるだけ広い定義でカバーする。我々がそれを「経営戦略」と呼ぶ前から、それに類する概念を、我々はすでに実践していた。人類の歴史を紐解きながら、その概念がどのようにその焦点を遷移させていったかを探る。その上で、経営戦略の原点である、予算管理と戦略計画の全盛期を振り返る
4と5は、戦略立案の基礎となる情報の分析である。4は、外部環境を軸として現状を把握する系譜であり、たとえばマイケル・ポーターのファイブフォースはこの系譜にあたる。5は、内部環境を軸として現状を把握する系譜であり、例えば、J. B. バーニーのリソース・ベースド・ビューやゲイリー・ハメルのコア・コンピタンス経営はこちらの系譜である。
6と7は、外部環境と内部環境の現状把握に基づき、単一の事業戦略をどのように立案するか、そして複数の事業のポートフォリオ管理ともいえる全社戦略をどのように立案するかを考える。6の事業戦略は、まさに4と5で議論した外部環境分析と内部環境分析の組み合わせで収集した分析に基づき、意思決定をいかに行うかを取り扱う7の全社戦略は、究極的にはどこまでを自社内部に取り込み、どこに投資を行うかの意思決定であり、これに関連した議論をカバーする。
8と9は、狭義の経営戦略の範囲からは外れる内容とも言えるが、それをどのように実行、実践するかという考え方を二つの方向性から紹介したい。
8は「数値の管理」を軸とした系譜である。実際の企業経営の現場では、これが主軸となって経営の現状が把握され、またそれに対する打ち手が立案されている。極めて伝統的な経営計画の世界から、新興企業で用いられるようなKPI管理まで、できるだけ幅広くその実態を紹介したい。
9は「数値の管理」ではなく「考え方の管理」である。企業は、従業員に適切なインセンティブ(報酬)を与えることで、その行動の方向性をガイドする。また、ビジョンや行動規範を丁寧に繰り返し提示することで、特定の考え方を共有する個人の集団によって構成される、組織フィールドを醸成する。そしてもちろん、リーダーたる経営陣が、組織の方向性を示し、先導しており、これはまさに「考え方の管理」といえるだろう。
10と11は、特に現代の経営戦略となっている課題について取り上げる。10は、新興企業のように経営計画を立案しづらい組織、意図しない成果が多発し、意図しない失敗に直面する組織の戦略を、どのように考えればいいかを議論する。11は、国際的な経営環境において4から8で取り上げたような考え方をどう実践していけばいいかを補足したい。
最後に、12はまさに経営戦略のフロンティアとなりつつある分野を扱う。人間の知能と知覚を拡張する技術の広がりが、経営戦略の常識をどうのように変えていく可能性があるかに関して、議論を進めたい。
私自身もいま、「普遍的な法則性」を探し求める調査研究を進めながら、しかし実務家の方々に「最適な処方箋」を提供しようとしており、二兎を追い求めている人間である。本連載を通じて、自分の中に散らかっている思考を再度整理し、経営戦略という軸をおいて、これに関わる主軸の議論を再整理し、良質な読み物として取りまとめることができれば幸いである。
次回は、通常の経営戦略の書籍では数行しか議論されない、経営戦略の定義について考えてみたい。これは簡単なようでいて、実は深い議論となるはずである。
【著作紹介】
有史以前からまだ見ぬ近未来まで――経営戦略の系譜をたどり、実践と理論の叡智を再編する。経営戦略論は何を探究し、科学として、実務として、どのような発展と進化を遂げてきたのか。本書は、有史以前からAI時代まで、戦略論の議論を俯瞰する壮大なストーリーである。
お買い求めはこちら
[Amazon.co.jp][紀伊國屋書店][楽天ブックス]
マッキンゼー×オックスフォード大学Ph.D.×経営者、3つの異なる視点で解き明かす最先端の経営学。紀元前3500年まで遡る知の源流から最新理論まで、この1冊でグローバル経営のすべてがわかる。国家の領域、学問領域を超える経営学が示す、世界の未来とは。
お買い求めはこちら
[Amazon.co.jp][紀伊國屋書店][楽天ブックス]