データ分析の8割は、
イシューを見極めること

伊賀:「対話」? それはペッパー君と挨拶するような「会話」とは違うってこと?

安宅:たとえば、こうやってミーティングの時に話が発展するようにちゃんと質問すること。あるいは相手のうっすらと欲しているものをはっきりさせるべくいろいろな質問をして、それに対して答えていくこと。これらはすべて対話です。企画の現場であろうと、製造現場、営業現場であろうとほとんどの職場で人が行っていることのかなりの割合は対話だと思います。

 医療のような専門性の高いプロフェッショナルサービスでも、対話が基本です。お医者さんが状況を踏まえて質問を行い、これに対しての患者の答えと検査結果から診断していくことがベースであることはこれからも変わりません。ただ、そのやり方がこれからは変わっていきます。

 たとえばこの道30年、俺の言うことを聞けば病気は治るという有名な大学病院の教授と、世界中のあらゆる症例を網羅するデータを使いこなす無名の若い医師がいるとする。教授は過去の自分のかなりの量の経験に基づいた診断をするけど、若い医師は患者以外のデータやAIによる画像診断力、見落としのない確認力もフルに活用した診断をする。これらのデータ×AI活用によると、ある患者が病気Aである可能性は2%だから、まずはそれを確かめる検査をする。検査の結果、病気を特定し、ある薬を飲むことが治癒に行き着くためのベターチョイスと言ってくれる。

 2人の医師、伊賀さんだったらどっちを選びます?

 僕は圧倒的に後者のほうがいいと思う。つまり、すべての仕事はデータやコンピューティングパワーやAIなどの力を使う人と、それらをまったく使わない人に分岐すると思うんです。たとえば目の前の物を何かに映しとるときに、スマホで撮るか、版画の型を彫るかの違い。ただ、現在の日本の医学教育だと後者のようなお医者さんを育てる仕組みがほぼ全くない。バイオインフォマティクスの専門家すら非常に少ない。カルテの全電子化と、医療機関を超えた統合もできていない。本当は前者の教授のような経験と、データやキカイの力を解き放つ力の両方を持っている人を育て、その方々を支える仕組みを作らなければいけないのですが。

伊賀:私も間違いなく後者を選びますね。だってビッグデータやAIを使いこなせば、生身の人間ひとりでは一生かかっても絶対に読み込めない数の論文や症例を分析できるわけですから。

 でもね。前者の著名な大学教授である医師にとっては、自分自身の過去の経験こそが自分の武器であり競争力の源泉なんですよね。

 それで思い出したのは、鉄道や地下鉄の中吊り広告の話です。あれって廃止するって話もあったんですよね。デジタルサイネージっていう電子パネルの広告に統一するという話が。そもそも紙の中刷り広告って、今でも人間が手でポスターを取り替えてるでしょ。東京なんて膨大な数の車両が走ってるのに、それらをすべて毎週、取り替える必要がある。ものすごく手間のかかる広告です。でも、紙の中吊りポスターを廃止したいと言ったら、広告主や業界から反対の声が上がる。

 ずっと昔から中吊り広告で販促をしてきた業界にとっては、「こういう中吊り広告をこれだけの量の出したらこれくらいの販促効果がある」みたいな強固な経験値がある。それが紙からディスプレイ、静止画から動画になったら、またゼロからデータを蓄積しなければならない。すでに「今まではこれで成功してきた」という経験値があるのに、新たに膨大なデータを分析して新たに効果のある広告形態を見つけに行くなんて大変すぎる。

 さっきの医療の話と同じで、過去に強固な成功体験があり、それが競争力の源になってる人や企業にとっては、たとえ圧倒的に生産性が高くなるかもと思えることでも、新しいものには移行したくないっていう気持ちが働くんだと思うんです。

安宅:とてもよくわかる。ただ、この流れは不可避。繰り返すけど、この先はデータの力を使える人と使えない人がはっきり別れてくることになる。そして最終的には、データの力を解き放てることは単なる基本要件になり、感じる力、見る力、人に伝える力のようなものが、人間の能力の中心として重視されるようになっていくと思う。

伊賀:だとすると、人間にとって重要な仕事はある意味、対極にあるような2つの仕事に収束するってことかな。1つは膨大なデータやを集め、AIを使いこなして分析しまくるスキル。そしてもう1つは、そういうのとはまったく関係ない「感じる力」的なソフトスキル。

 あれ? これってまさに安宅さんと私の持ってる能力じゃない?(笑)。 データをトコトン使いこなせる安宅さんと、データについては全然わからないけど、ソフトスキルを駆使して生き延びそうな私(笑)。

 でも安宅さんの言う「感じる力」、「見る力」って、いわゆる「地頭」とは違いますよね?

安宅:本当は同じはずだけれど、世の中的に言われている話とはかなり違う。地頭の議論は、少なくとも3つの話が混ざっていると認識しています。1つは異質なものを切り分けて判断する力。グルーピングというか、ある種の分析力。2つ目は構造的にものを考え、複数の次元にあることを同時に多層的、立体的に考える力。複数のレイヤーをつなぎ合わせて考える力、ある種のメタ思考と言ってもいいです。一つの層だけでしか対象を見れない人は、どれほどスッキリものを考えていても地頭がいいとはいえない。そしてもう1つは、これら多面的な情報を感じ、意味合いを突き詰める力。要するにそれは何かをどこまで深く理解できるかという力。あえて言うと、感じる力、見る力は2つ目と3つ目の力になるでしょう。

伊賀:前著の『採用基準』の中で、マッキンゼーでもっとも優秀と言われるのは、分析力に優れた人のことじゃないと書いたんです。能力には2つの方向があって、1つは深く掘る力で、もう一つが構築する力。一般的には分析に強い人のことを優秀と思いがちだけど、本当の意味で頭が良いというのは、構築型の能力を持った人だと思うんです。それは今回の本、『生産性』のなかでビジネスイノベーションと呼んでいる仕組みみたいなものを考えつく人。

 社会制度でいえば、たとえば株式会社制度や貨幣制度みたいなのを最初に考えついた人って、構築型の能力を持ってる人なんですよね。みんなが物々交換をしてる時代に、「物々交換なんて不便すぎる。貨幣制度を作ってすべてのモノの価値を貨幣という統一単位で表せば、まったく異なるものの取引が容易になる。価値自体の貸し借りも可能になる。遠くにいる人にも価値を移転できるようになる。こういう制度をつくれば、この問題とあの問題とあっちの問題が一挙に解決できるじゃないか!」と思いついた人ってすごいですよね。そういう人が本当の意味で頭のいい人だと思う。

 そのうえ分析に関しては、今後はAIが勝手に分析してくれる、みたいなことも起こり始めるわけで、今後はさらに構築型の能力が重視されるようになると思うんです。

安宅:分析的な思考力があるという前提であれば、構築型の重要性については確かにです。ただAIが勝手に分析してくれるということは定型的なもの以外についてはかなり希望薄です。

 分析力についてもう少し言うと、分析力の強さの根っこにあるものはよく言われているような数字のハンドリング能力ではありません。分析力の根幹は、「何を言うことに価値があるかを見出す力」あるいは「何にケリをつけることに価値があるかを見出す力」です。そしてそれにそって見出すべきポイントを定量的、分析可能な軸に整理できる力。これらが分析力の85%ぐらいを占めている。そしてこの大半が近い将来キカイ化される見込みは極めて薄いです。

伊賀:計算そのものではなく、分析の肝を見極める力がある人ってことですね。分析プロセスそのものの設計能力とか。

安宅:そう。仮説の中で何が「要」となって検証されなければならないか、つまりイシューです。仮説の中の論理のへそが見える人。この1点のケリがつくと、残りのすべての点のケリがつくというポイントが見える人ですね。

伊賀:そこが見えない人は、延々と働くことになる。しかも、ものすごい長時間、働いているにもかかわらず価値あるアウトプットが出してこれない・・・

安宅:その通り。機械の力を使っても、そこが見えないまま自動化が行われてしまうと、ろくでもないアウトプットが出てくる可能性があります。へそを見極める人が生産性を高めて、イシュードリブンにならなくちゃいけない。

伊賀:そのヘソを見極められるかどうかが生産性を左右する。だからイシューを正しく見極めることこそが究極の生産性の向上方法だってことになるんですね。

※続きはこちら(全4回)→第2回][第3回][最終回

【著作紹介】

イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」
(安宅和人:著)

MECE、フレームワーク、ピラミッド構造、フェルミ推定…目的から理解する知的生産の全体観。「脳科学×戦略コンサル×ヤフー」トリプルキャリアが生み出した究極の問題設定&解決法。コンサルタント、研究者、マーケター、プランナー…「生み出す変化」で稼ぐ、プロフェッショナルのための思考術。

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生産性―マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの
(伊賀泰代:著)

「成長するとは、生産性が上がること」元マッキンゼーの人材育成マネジャーが明かす生産性の上げ方。『採用基準』から4年。いま「働き方改革」で最も重視すべきものを問う。

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