思いを込めた文章は相手に伝わるというのは、真実であり、またそれだけでは限界がある。思いをいかに相手に伝えるか。その「いかに」こそ、コミュニケーションの本質である。
響かない、自分の雑誌の投稿
フェイスブックで投稿していると、とても皮肉な現象に遭遇します。
僕の場合、自分の雑誌ハーバード・ビジネス・レビューの発売に合わせ、「最新号が出ました」という告知を兼ねた投稿をします。少しでも多くの人に、内容を知ってもらいたい、そして読んでもらいたいという思いからです。これは個人の思いではありますが、受け手の人から見ると宣伝となるかもしれません。
一方で、読んで面白かった本について感想とともに投稿する場合があります。こちらも個人の思いであることには変わりはないのですが、特に自分の属する出版社以外の本の場合は、まったく宣伝だとは受け取られないでしょう。
この自分がつくった雑誌の投稿と、自分が読んだ本の投稿を比べた場合、明らかに後者の「自分が読んだ本」の投稿の方が「いいね」の数を含め、反応がいいのです。つまり、自分の仕事の宣伝につながるような投稿よりも、自分の個人的な感想の投稿の方が、多くの人の心に届くようです。
この現象には、何とも言えないジレンマを感じます。当事者の投稿より、他人の投稿の方が影響力を与えるとしたら、広告ってなんなんだろう。むしろ、自ら発信するマーケティングより、褒め合うマーケティングの方が効果的ではないかとさえ思ったことがあります。
自分としては、自分のつくった雑誌を多くの人に読んでもらいたい気持ちと、自分が読んだ本を人に薦めたい気持ちに、まったく変わりはなく、温度差で言えば、むしろ自分のつくった雑誌への方が思い入れがある分、高いと言えます。当たり前ですが、人に自信をもって勧められる。ひょっとしたら、自分の雑誌を投稿する自分に「照れ」があり、思いを100%書き切れていないのかもしれないと思ったこともあります。
本当の理由はコミュニケーションの本質にあるのかもしれません。人の話を聞いて面白いと思うのは、意外性か共感性のどちらかがあるからではないか。「へー」「なるほど」が意外性で、「そうだよね」「わかる、わかる」が共感性。このどちらか、あるいは両方を備えた話やコンテンツに人は無意識にひかれる。何の文脈もなく「平和は大事だ」と言われても、誰も反対する人がいない代わりに、積極的に耳を傾けてくれる人も少なく聞き流されがちです。これが戦争の体験談とともに語られると共感を得られるし、一見、平和と関係なさそうな話の流れで効果的に「平和の大切さ」に結びつけられると、その展開の妙は人の気をひくものです。
そう考えると、僕の「ハーバード・ビジネス・レビューが出ました」という投稿は、受け手の人から見ると「彼がそう投稿するのは当然だよね」と、まったくの意外性がないのかもしれません。年末に、料理本の感想を投稿したら、多くの人が反応してくれたのですが、この場合、僕に料理のイメージがなく、その意外性から多くの人に届いたのかもしれません。
意外性とは、決して奇をてらうことではありません。エキセントリックなタイトルで引き付けようとするのでもなく、過剰な言葉や動画を使うことでもない。人が「なるほど」と思うような届け方を丁寧にすることでしょう。人に何かを伝えるには、思いが重要ですが、その強さだけでは届かない場合がある。その思いを、丁寧に相手の腑に落ちるかたちで伝えることが大切です。(編集長・岩佐文夫)