●呼吸を1回する
たった1回、意識的に呼吸するだけで、物の見方を変えることができる。1回の呼吸によって、頭の雑音をいったん止め、脅威を感じて動揺した身体を静めるチャンスが生まれる。人は苦しいとき、自分自身に物語を語り、それを信じ込んでしまう。一呼吸入れることで、その物語から抜け出し、騙されにくくなるのだ。
息をたどって身体に注意を向ければ、頭がここにあるか否か(目の前の意図とより大きな目的に、思考が沿っているか)を判断するだけの余地が生まれる。そして、自分がとるべき道を意識的に選べるようになる。
●感情に注意を向ける
アンカリングのもう1つの目的は、感情を捕らえることだ。感情は、仕事においては特にだが、負担のように思えるかもしれない。しかし、感情を認識することは重要である。感情を押し殺すことの弊害についてはいくつもの研究があり、けっしてよくないと断言できる(英語論文[1][2][3])。逆説的だが、ネガティブな感情をありのままに受け入れることは、むしろネガティブな感情や気分障害を抑制することにつながる。つまり、不快な感情を認め受け入れることによって、その負の威力を軽減できるのだ。
ある研究で実験参加者は、トラウマ経験と、ごく一般的な出来事のいずれかについて、4日間続けて文章を書いた。すると、トラウマ経験について書いた人はそうでない人と比べ、その後の6ヵ月間で医療機関を訪れる回数が少なかった。
身体に注意を向けると、感情の湧き始めでその情報を感知できるため、心身すべてが感情に乗っ取られるのを防ぐことができる。その機を逃した後では、感情をうまく利用することはもはや不可能だ。
●身体は人間の共通体験である、と考える
上司にうんざりしたり、度し難い同僚にこれ以上耐えられなかったりということもあるだろう。自分の身体を意識することは、他者への共感を――たとえ厄介な相手に対してでも――育むきっかけになる。なぜなら、身体は人間にとって大きな共通項だからだ。
何を当たり前のことを、と思われるかもしれないが、ここには深い意味がある。身体およびその快感や苦痛は、人々に共通の体験だ。身体に伴う痛み、病気、ニーズ、屈辱。望み通りの身体が手に入らないこと。己の肉体がいつかは滅びるという恐怖感。身体との闘い、あるいは身体について見て見ぬふりをすること。これらは誰もが経験することだ。
自分の身体を無視すれば(あるいは意識的に無視しようと努めれば)、他者との根本的な共通点を見失うことになる。身体を意識することで得られる共感は、不満と苦痛を長引かせず、仕事上の生産的な人間関係をつくるうえで役に立つのだ。
●些細な喜びを強く感じる
午後のコーヒーの、最初の一口の喜びを過小評価してはならない。人間は快感よりも苦痛に敏感な生き物だ。しかし、自分に言い聞かせて練習すれば、身体があってこその単純だが確かな喜びを、1日中体験できるようになる。
たとえば、長時間立ちっぱなしの後に腰を下ろすときや、座りっぱなしの後に立ち上がって伸びをするとき。新しいペンの、人間工学に基づくグリップの素晴らしい感触。何かがおかしくて大笑いするとき。空腹を感じて何かを食べるとき。子どもたちとの騒々しい朝を過ごした後、職場に着いて感じる静寂。履き心地のよくない靴を、机の下で脱ぐとき――。どんなにひどい1日であっても、心地よさを感じるチャンスはたくさんある。
私は最近、会議で訪れたパロアルトの退役軍人病院を歩いているとき、2人の退役軍人を見かけた。建物の前で、両者とも車イスに座っている。1人が連れのほうに身を乗り出して、「俺たちは手が動かせるんだ、すごいじゃないか」と言った。もう1人は「そう、その通り。素晴らしい!」と答えた。彼らの考え方からは、大いに教えられる。私たちの多くはみずから望みさえすれば、繰り返す日常のなかにも、祝うべき小さな喜びを見出せるのだ。
仕事をしていればストレスは避けられない。だがその対処には、面倒な習慣や回避手段は必要ない。自分を現実につなぎ止めて立ち返るために、身体感覚をしっかり感じるだけでよいのだ。
一瞬だけ足で地面を軽く叩けば思い出せる。ストレスを減らすための、信頼できる道具が常にここにある、と。何しろあなたは、それを生まれつき持っているのだから。
HBR.ORG原文:A Simple Way to Stay Grounded in Stressful Moments November 18, 2016
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リア・ワイス(Leah Weiss)
スタンフォード大学経営大学院の講師兼研究者。テクノロジーを基盤に青少年の健康を支援する財団、ホープラボの教育担当ディレクター。