人は経験を積むことで、自分の強みを盤石にすることができる。しかし人の本当の成長は、その盤石さを自ら壊して再構築することで生まれる。破壊と構築を繰り返すことで、人は磨かれる。
仕事がうまくなるとは、どういうことか
誰しも、何かを始めると最初はぎこちないものである。新卒の新入社員は、電話ひとつ受けるだけでもたどたどしく、不安を抱えながら受け応えをする。それがやがて回数を重ねることで、自然と不安はなくなり、あたかも日常行為の一つのように電話対応ができるようになる。これが成長というものである。
慣れないうちは、定形フォームが固まらない。自分の「型」がないので、どう対応していいかわからないものである。いわば、「ふわふわ」な状態で仕事をしているようなものだ。
それがやがて経験を積むことで、自分なりの「型」が出来上がる。プロ野球選手はキャッチボールですら、そのフォームが一定しているように、最適化され無駄のない「カタチ」が身につくのである。ふわふわしていた状態が、経験を重ね自信を積むことによって、少しずつ固くなっていき土台として頑丈なものが出来上がる。これが成長であり、堅牢さがプロフェッショナルとしての信頼の礎になる。
しかし、成長とはこの状態を作り上げることではない。むしろ、この状態からさらに、みずからの殻を破りつづけることである。
一度出来上がった型は、磨けば磨くほど頑丈になる。踏み固められた土台が盤石になればなるほど、それをもう一度崩すのが困難になる。
しかし、特にいまの時代、企業も人も、一度身につけた強みが永遠に続くことはない。環境変化によって、かつての強みがコモディティに代わる例は数知れず、かつての専門職であった電話交換手や活版職人がなくなり、今後は知識労働を提供してきた、弁護士や医師の仕事の多くの部分も機械が代替しようとしている時代である。
このような時代は、自分の強みを固めることと、それをまた自ら破壊して、一から盤石なものをつくり直すことが必要である。固めては壊し、壊しては固める。この繰り返しこそ、人や企業の成長なのである。
木は秋に葉を落とし、春には新緑で輝く。何十年と同じ場所にある木でさえ、日々栄養を取り入れ、固くなった細胞を捨て、新しい柔らかな細胞を生み出しながらそこに存在し続ける。継続とは現状維持ではなく、日々の成長の繰り返しであり、脱皮をしながら存在し続けるのである。
自分の得意を磨き、盤石な強みを持つことと同時に、自らを否定して、絶えず柔らかな、未熟さから強さを作り出すこと。この繰り返しこそが、成長であり、それは年齢を重ねても終わることがない、永遠の繰り返しである。
成長とは、自ら築いた強みを捨てる勇気である。新年度となり、新しいステージに移る企業や人も多い。その際、武器は、これまで築いてきた過去の強みではなく、強みを築いてきた自分への自信である。その武器が強ければ強いほど、過去の自分から脱皮し、一度「軟な」状態に立ち返って、自分を磨くことができるのである。(編集長・岩佐文夫)