「ほぼ日」の社内調査を担った社会学者が、組織らしくない「ほぼ日」の組織の謎に迫る連載の4回目。今回は、徹底的なフラットな組織を目指す「ほぼ日」が、その不便さをどのように許容しているかを見る(調査は2015年6月から2016年3月までの10ヵ月間にわたって行われた。連載で描かれるエピソードは特に断りがない限り、上記期間中のものである)。
これまで見てきた「ほぼ日」の組織的な特徴は、一般的にも肯定的な評価を与えられてきた組織構成である。上下の権限ではなく社員同士の納得や共感が重要とされる組織や、過度な規則化や制度化がされないことによって決定までの煩雑さが取り払われ、個々人の裁量の自由度が保たれている組織は、風通しがよく、迅速な決定ができるために環境への適応ができる……とされる。
組織論においても「有機的管理」と呼ばれたり、あるいは日本では「フラットな組織」として特に1990年代の組織改革の時期に理想として目指されたものでもあった。ピーター F. ドラッカーが、ジャズバンドやオーケストラのような……と喩えた「知識労働型組織」といったほうが馴染みのある方もいるかもしれない。
こうした肯定的評価は「ほぼ日」にも多くの面で妥当する。その一方で、そうした組織が抱える独特の不便さやコストはこれまでほとんど言及されてこなかった。今回は、ほぼ日の組織の特徴を浮き彫りにするために、あえてその不便な側面を、以下の3点から見ていきたい。1点目に規則をつくる際のコスト、2点目に情報経路の不確定性、そして最後に組織全体の見通しにくさである。
規則をつくる際のコスト
1点目の規則をつくる際のコストについて。
これはたとえば、前回記事の最後に紹介した、迅速な決算処理のために新たな会計の承認ルールをつくろうとしたときの説得コストの高さを想起してもらえればわかりやすい。一般化すれば、規則や手続きのつくりやすさは、一定の時間が経過した将来、惰性で続けられる無用な手続きを増やす温床にもなる。
当然だが両者はコインの裏表で、もし簡単には規則化できないことをよしとするならば、反対に新たに規則をつくる際のハードルの高さを覚悟しなければならない。
そうした危惧からでもあるだろう、「ほぼ日」では規則にしない代わりに、往々にしてさまざまな事態の対応方法を個々人に任せている。その代表的な例が「個人が個人の仕事をつくる」ことだ。
あるとき、糸井氏の新しい秘書役の方が着任した際に、糸井氏は全社員が出席する会議でこのように発言した。
「Aさんは、Aさんらしい仕事のつくり方をしてほしい。前任者の仕事を引き継いで、さらに良くしていこうと思わなくていいです。あなたは、あなたなりの仕事をつくっていってください」
役職として継続するものであるにもかかわらず、ここでは、前任者の仕事を引き継がなくてよい、とまで言及されている。そして、これは単に願望や理想論ではなく、秘書という職務のように、もともと自由度が高いと思える仕事に限定されることでもないようだ。
たとえばカスタマーリレーションズのBさんにインタビューした際には、Bさんは前任者と比較して異なる仕事の仕方に変更した、と語ってくれた。
「私、『ほぼ日』に来てから情報通になったんです」とBさんは言う。カスタマーリレーションズは、お客様対応窓口として、当然公開されるコンテンツの仔細について知っておく必要がある。多くは事前の打ち合わせで判明するが、それでもすべての企画が規定された承認過程を通るわけではないため、伝え漏れは日常的に起こりやすい。また、制作作業は公開ギリギリまで行われていることもあって、ディテールに至るまではBさんに直接伝えられないことも多いという。
そうした際、考えられる組織的対応は二つある。事前の情報共有を徹底することを制作サイドに厳しく求め、さもなければ公開を延期せよと臨むか、それをある程度諦めて、担当者が必要に応じて社内を情報収集して回るか、のどちらかである。
Bさんは後者を選んだ。社内の雑談や小話に耳をすまし、「新規企画の話をしていそうだな」と感じたら、すかさず「何の話ですか?」と話に加わったり、情報のハブとなる幾人かと頻繁にコンタクトを取ったりする。あるいは個別にマークしている人も何人かいるという。まさに「情報通になった」のである。
しかし、このような対応も彼女自身の個性によってなされた変化だった。Bさんによれば、前任者は異なる仕事の進め方をしていたが、前任者のやり方を踏まえて対応することを周りから求められる機会は少なかったという。
このように、「個人が仕事をつくる」というのは、裏を返せば担当者が変われば、そのたびごとに周囲の仕事の仕方も変化していくことを含んでいる。その意味では手間のかかる仕組みである。
また、「『ほぼ日』に来てから情報通になった」というのは、彼女の以前の職場との違いも関係している。Bさんは転職以前には、顧客とのやり取りにあらかじめ事前研修やマニュアルがあったり、顧客宛の手紙を校閲する部が存在する企業で働いていた。だから、彼女が「ほぼ日」に移って、真っ先に驚いたことは「自分が動かなければ、情報がまったくといっていいほど降りてこない」ことだったという。
この点は、次に述べる2点目・3点目にも関連してくる(というよりも、2点目と3点目があるから、Bさんは情報通にならざるを得なかったのだ)。