経済学者の故ウィリアム・ボーモルは、「コスト病」理論の提唱者としてよく知られている。彼は同時に、米国の起業家精神のあり方にも警告を発していた。ボーモルは、起業家の努力がイノベーションではなく、自社に都合のよい市場や社会をつくろうとする「非生産的」な活動に向けられていると指摘した。本記事では、米国における起業の実態が示される。


 経済学者のウィリアム・ボーモルが2017年5月に95歳で逝去し、経済学界隈で広く哀悼の意が示された。彼が提唱した理論は多くの経済学者に支持され、ノーベル賞に値すると目されながら、受賞には間に合わなかった。

 本稿筆者の一人(ライタン)は、ボーモルと協働する栄誉に恵まれ(『良い資本主義 悪い資本主義』の共著)、友人となり、晩年まで定期的に彼の経済学の英知に触れることができた。

 ボーモルは経済学に多大な貢献を果たしたが、その中でも最も有名なのは「コスト病」(ボーモル効果)の理論である。これは、生産性の高い業界がコスト高になると、生産性の低い業界でも価格上昇が避けられなくなるという原理を説明するものだ。

 この洞察はまさに、現代に当てはまる。医療や教育のような生産性の低い公共サービスでの経済活動が増えるにつれて、価格が上昇し、公共の予算や家計費を圧迫している。これらの分野における生産性の停滞が、米国全体の生産性向上の足枷になっているのだ。

 ボーモルの理論でもう1つ、コスト病ほどは知られていないが、同様に現代に当てはまり、米国の生産性停滞を説明できるものがある。生産性が低い理由としてボーモルが挙げているのは、起業志望者の努力が不適切な活動へと向けられている可能性だ。

 ボーモルの1990年の論文、"Entrepreneurship: Productive, Unproductive, and Destructive"によれば、ある国における起業意欲のレベルは、時とともに一定になる。そして、その国で起業活動から生じるアウトプットを決定づけるものは、起業活動のインセンティブのあり方が「生産的」か「非生産的」かである、という。

 ほとんどの人は、起業活動について、ボーモルの表現で言う「生産的」なものだと見なしている。つまり、創業者が立ち上げた会社は、新しいものやよりよいものを市場に投入し、それによって社会と自社がメリットを享受する、ということだ。非常に多くの研究で立証されていることだが、古きよりも新しきを好み「創造的破壊」を行う「シュンペーター的」起業家は、生産性や生活水準に画期的なイノベーションや急速な進歩をもたらすのに不可欠な存在である。

 だがボーモルは、これとはまったく異なる種類の起業家に対して、危惧を示していた。政府との特別な関係を利用して、規制による保護を獲得する。みずからの利益のために、公共投資を確保する。特定の規則を、自社にとって好ましい方向にねじ曲げる。こうして競争を抑制することで、自社の優位性を保つ――。つまり、「非生産的」な起業家たちがいるというのだ。

 経済学者はこうした行為を「レントシーキング」と呼んでいる。ボーモルは次のように述べた。

「起業家は常に我々とともにあり、常に何らかの重要な役割を担っている。しかし、起業活動のあり方を変化させうるような役割がいくつも存在する。それらの中には、従来その人物が描いていた建設的かつ革新的な筋書きに沿わないものも含まれる。

 実際に起業家は、経済を弱体化させる寄生虫のような存在を先導してしまうこともある。ある時と場所で起業家がどう振る舞うかは、その時期に浸透している競争のルール――つまり経済における報酬体系――に大きく左右される」

 ボーモルの理論的枠組みでは、起業活動の減少は経済停滞の元凶ではない。むしろ原因は、2種類の起業家精神を両極とする「起業活動の構成」の変化だ。具体的には、生産的な起業活動が減ると同時に、非生産的な起業活動が増加することである。

 では、実際のところ米国でそういう現象が起きているのだろうか。