●賃金への投資

 賃金への投資を増やすために、顧客や株主を犠牲にする必要はない。

 MITスローン・スクール・オブ・マネジメント教授のゼイネップ・トンは、著書The Good Jobs Strategy(未訳)の中で、卓越した小売企業が顧客への価値提案、業務戦略、人材へのアプローチという3つの方向性をいかに整合させているかを述べている。トンが用いた事例では、顧客への支援と従業員のエンゲージメントが密接にリンクしており、それらが優れた顧客体験や質の高い仕事、株主にとって好ましい財務成果につながっていることがわかる。

 大小どちらの企業も、こうしたコンセプトを試行している。ニューヨーク市で清掃とオフィス管理サービスを手がけるマネージド・バイ・Qという会社は、従業員に一般的な相場よりも高額の賃金を支払うことにした。その結果、従業員の離職と顧客の離反が減り、採用と顧客獲得にかかるコストを抑えることができている。顧客と従業員への支援強化がもたらす複合的な効果は、賃上げによるコスト増を相殺して余りあるのだ。

 大企業の例を挙げると、ウォルマートは27億ドルを投じて、賃上げ、福利厚生の改善、研修の強化に乗り出すことを決めた。

 ●時間への投資

 人的資本への著しい投資不足は、時間に対する無頓着さからも窺い知れる。知識労働者はあまりにも、時間の余裕がない。

 我々ベイン・アンド・カンパニーが調査したところ、マネジャーが邪魔をされずに「シャロー・ワーク」(浅い仕事)ではなく「ディープ・ワーク」(本当にやりたい意味あることに集中できる環境をつくり、それに没頭すること)に取り組める時間は、平均で週7時間以下であることがわかった。それ以外の時間は、会議や電子的なコミュニケーション、20分未満の作業などに費やしている。

 これでは1つのタスクを完遂しづらくなり、最悪の場合、燃え尽き症候群に陥ることもある。劇的な生産性の向上につながる秀逸なアイデアを出すのは、イノベーションを起こすだけの時間と才能と意欲を持ち合わせた人間だ。これは周知の事実である。

 マネジャーの時間不足を解消するための第一歩は、時間を実際の機会コストとして、お金のように扱うことだ。企業は組織の足枷を、つまり非効率的かつ非効果的なやり取りを助長する社内の複雑な仕組みすべてを、体系的に撲滅する努力をすべきである。マネジャーに熟考できる時間をもっと与えれば、イノベーションが生み出され、生産性にも大きなインパクトを及ぼす可能性がある。

 トヨタ生産方式を採り入れている企業は、製造ラインの生産性を上げるべくカイゼン活動を行っている。これによって、従業員はラインへの拘束が減り、プロセスのスリム化や画期的な作業方法の考案のための時間と空間が得られる。

 これと同様に、多くの組織は、アジャイル手法の1つであるスプリントを、製品開発やイノベーションといった従来の領域以外でも試みている。巧みなスプリントの下では、部門の垣根を越えた有能なチームメンバーらは日々のルーティン業務から外れ、週単位で製品やプロセスのブレークスルーを生むことに集中する。カイゼン活動もアジャイル・スプリントも、イノベーションと人的資本の生産性に対する投資だ。

 多くのテクノロジー企業では、従業員に新しいアイデアを探求するための自由な時間を与える試みをしている。たとえばリンクトインの「インキュベーター」、アップルの「ブルースカイ」、マイクロソフトの「ガレージ」といった制度である。

 ●意欲への投資

 おそらく、業員のために企業ができる最大の変革とは、従業員に内在する熱意を解き放つような、仕事や職場環境をつくるために投資することだろう。これこそ自発的な意欲を引き出すことにつながり、労働生産性を高めることになる。

 熱意にあふれた従業員の生産性は、現状に満足している従業員の2倍以上、不満を抱えた従業員の3倍以上ある。ただし、熱意に満ちた従業員は8人のうち1人にすぎない。我々が従業員の意欲を基に組織のエネルギーを測定したところ、数々の意欲向上プログラムに十数年にわたり投資しているにもかかわらず、その度合いは一貫して低いままだった。

 これを打破したい企業は、未来にも存続できる仕事にフォーカスすべきだ。創造的破壊の力によって、業務の一部は自動化やデジタル化、仮想化に取って代わられ、消滅していくのは避けられない。しかし、その同じ力によって新たな業務や職業も生み出されているのだ。

 刺激的な仕事や働きがいのある職場環境をつくるためには、従業員の熱意を引き出す要素に、総合的に対処する必要があり、我々はそれを「ベインによる従業員ニーズのピラミッド(The Pyramid of Employee Needs)」で示している。これには、より多くの自律性や敏捷性に加え、人々のやる気を喚起するインスパイア型のリーダーシップも含まれる。

 IBMのように、デザイン思考を全社的に実践しようと懸命に取り組んでいる企業もある。また、メガバンクのオーストラリア・ニュージーランド銀行(ANZ)などは、1年未満でアジャイルを全社的に取り入れようと尽力した。これは、音楽ストリーミング会社のスポティファイが成功した手法のいくつかを真似たものである。

 あまりにも長い間、事業目標や経営哲学において生産性よりも効率に重点が置かれてきた。その結果、人的資本への投資が足りなかったばかりか、株主へのリターンも抑制されていた。資本コスト(すなわち成長への投資コスト)が著しく低い期間であっても、である。不足しているのは資金ではなく、成長のためのアイデアなのだ。

 ノースウェスタン大学のマクロ経済学者ロバート・ゴードンの研究結果によれば、米国史において生産性の急上昇期をもたらしたのは、資本の深化(1労働時間当たりにより多くの資本を注ぐこと)ではなく、経済学用語でいう全要素生産性、つまり技術革新の影響だという。それらの閃きを得てイノベーションとして具現化し、生産性向上をもたらすのは、他ならぬ人間である。

 だからこそ我々は、最も希少なリソースは往々にして金融資本ではなく、人的資本であると考えている。世界中の経済圏と企業において、新たなレベルの労働生産性が切実に求められている。人的資本という希少なリソースに再投資すれば、それを引き出せるのだ。


HBR.ORG原文:The Case for Investing More in People, September 04, 2017.

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エリック・ガートン(Eric Garton)
ベイン・アンド・カンパニー、シカゴオフィスのパートナー。グローバル組織プラクティスのリーダーを務める。共著に『TIME TALENT ENERGY』(プレジデント社、2017年)がある。