グローバル化の進展に伴い、日本企業の海外進出は当たり前のものとなった。中国やインド、東南アジアの存在感も高まりつつあるが、米国はいまだに最も有望な市場の1つである。それゆえに競争も激しく、外国企業が成功を収めるのは容易ではない。そこには、ビジネス面での難しさのみならず、異国でともに暮らす家族との向き合い方も問われている(本記事では、HBRのケーススタディをご紹介します。ご一読いただき、最終行の「問題」を議論いただければ幸いです)。
「チートス!お願い、チートス!」
中村陸の娘のあかりが、食料品店の棚に向かって突進した。
陸の妻、あおいはため息をついた。「ねえ、私たち、どうしてまたこの通路を歩いているんだっけ?」
「米パフを固めたライスケーキがどんなふうに陳列されているか、確かめたかったんだ。我が社のせんべいは、どうしてこのコーナーに置いてもらえないのかなあ」
あかりが胸にしっかりと抱きしめているチートスの袋を指して、あおいが言う。「蛍光黄色の粉チーズを振りかける必要があるんじゃない?」
陸は思わず笑ったが、妻のジョークで気分が上がったわけではなかった。ますます仕事の悩みが深まった。
6年前、陸は東京から米カリフォルニア州サンマテオへの転勤の打診を受けた。彼の新たな任務は、雇用主である会社「ケンコー」にとって初の外国子会社となる「ケンコーUSA」の立ち上げを陣頭指揮することだった。
ケンコーは国内売上高が10億ドルの日本最大のせんべいメーカーであり、成長戦略とグローバル化計画を勢いよくスタートさせたいと望んでいた。目指すは、第二の「キッコーマン」だった。キッコーマンはしょうゆとテリヤキソースで、またたく間に米国人の胃袋をつかんだ。
陸もあおいも、この挑戦に胸を躍らせた。当時、お腹の中にあかりがいたので、あおいはしばらく専業の母親になるのもいいと思い、日本での教師としてのキャリアを中断することに同意した。こうして、陸は昇進の話を受けたのである。
だが、米国滞在の期間は、2人が想定していた以上に長くなっている。ケンコーUSAが期待していたほど軌道に乗っていないのだ。売上高は控えめではあるが毎年2%伸び続け、事業はゆっくりと成長している。だが、成長率は予想をはるかに下回り、5年のうちに自立できているはずだった米国支社は、いまだに赤字を出していた。
本社の取締役会からは、業績改善のために説得力のある計画を提出するように要求されていた。成功のカギは、アジア系スーパーマーケットや食料品店のエスニック食品コーナー以外にも販路を拡大し、ケンコーのせんべいを全米の大手食品販売店のスナック菓子の棚に並べることだと、陸は心得ていた。だが、彼のチームの努力はまだ実っていなかった。
ディスカウント食料品店を全米でチェーン展開している「パティーズ・パントリー」が最近、プライベートブランド商品の話をケンコーUSAに持ちかけてきた。ケンコーのせんべいをパティーズ・パントリーのブランドで売るという提案だ。
陸をサポートするナンバー2のレベッカ・ベアストーは、この提携案を強く支持していた。提携商品が実現すれば、全米の消費者に日本のせんべいがいかにおいしくて、グルテンフリーで、健康的なスナックかをわかってもらえるし、売上げ拡大と利益が何より必要な米国支社にとっては、販売網を一気に拡大するチャンスになる。
だが陸は、それが短期的な解決策にすぎず、米国でケンコー・ブランドを確立することにはならないのではないか、と懸念していた。
陸のメンターで本社勤務の斉藤房雄は、より直接的な顧客への働きかけを強く推奨していた。これを推し進めるには、より多くの資金と時間を要することになるが、斉藤のバックアップがあれば、会社はそれを試すことを承認するだろうと、陸はにらんでいた。
だが、陸は家族のことも考慮しなければならなかった。あおいは大学での講義を再開するように要請されていたのだ。夫婦そろってホームシックになりつつあった。それに娘が成長するにつれ、2人とも娘を米国人としてではなく、日本人として育てたいと強く思うようになった。
後任に引き継いで本社に戻るときには、ケンコーUSAは成功を収めているはずだと陸は考えていた。だがいまや、本当にそうなるか、それほど確信が持てなくなっていた。
「パパ、チートスいい?」と、あかりが尋ねた。
「先にパパのおせんべいを見つけましょうね」と、あおいは娘が抱えているチートスの袋を優しく取り上げながら言った。
「世界の食品」コーナーに着くと、あかりはケンコーせんべいが陳列されている棚までトコトコと歩いていき、淡い黄色の袋に入ったお気に入りの甘い水あめフレーバーを指さして尋ねた。
「いくつ?」
陸とあおいは思わず笑った。「おうちにいっぱいあるからね」と陸は言った。「ただ棚に置いてあるかを確かめたかったんだ」
あかりが小さな眉をひそめたので、陸は娘にウィンクしてこう言った。「大丈夫。レジの横にチートスがあったからね」