全米プロアメリカンフットボール(NFL)のチーム、シアトル・シーホークスの監督で、私のビジネスパートナーでもあるピート・キャロルのパーソナル・フィロソフィは、「常に競う(always compete)」である。キャロルにとって、常に競うとは、上達するために、そして自己の最大限の可能性を達成するために、毎日切磋琢磨することを意味する。
このフィロソフィは、決まり文句やスローガンではない。むしろ、彼の行動や考え、意思決定を導く羅針盤だ。監督として、父親として、友人として、生活全般にわたるフィロソフィである。
パーソナル・フィロソフィを考えるにあたり、自問すべき一連の質問例を以下に示そう。
「ベストの状態にいるとき、どのような信念が私の考えや行動を下支えしているか」
「私と合致する個性や資質を発揮している人は誰か」
「そうした資質とは何か」
「好きな引用句は何か。好きな言葉は何か」
これらの質問に答え終わったら、際立つ言葉に丸を付け、そうでない言葉はバツで消していく。残ったものを検討した後、現在の自己認識と、どのような人生を送りたいかという希望に、まさに一致するフレーズかセンテンスを考え出してみる。その草案をパートナーなどに話して感想を求め、それを基に、あなたのフィロソフィを仕上げる。それから、そのフィロソフィを暗記し、毎日思い出そう。
パーソナル・フィロソフィを策定する過程そのものが、パワフルで目を見張るような訓練になりうる。私がエグゼクティブチームにコーチングを行う際はよく、パーソナル・フィロソフィを書いてもらい、それをチーム内で共有してもらう。
あるシニア・エグゼクティブが参加者全員をうならせたときのことを、私は決っして忘れないだろう。そのエグゼクティブは、目に涙をためながら、背中をピンと伸ばし、頭を高く上げた姿勢でこう言ったのだ。「私のフィロソフィは、立派に生きることです」
彼がそのとき同僚たちに語った話によれば、彼の両親は移民であり、息子によりよいチャンスが与えられるように数々の困難を耐えてきたという。両親の大変な努力と犠牲に敬意を払い、まるで家族の紋章を胸に飾っているかのように人生を送ることが自分の義務である、と考えた。彼は毎日、両親の善行に値するように努め、また次世代の素晴らしいロールモデルであろうとしている。
パーソナル・フィロソフィがいかに重要かについては、どれだけ強調してもしすぎることはない。
NFLの選手やコーチ陣、エクストリームスポーツの選手たち、そしてフォーチュン50社のシニアリーダーらを顧客としてきた経験から、気づいたことがある。それは、こうしたパフォーマンスの高い人たちが偉大なのは、常に最高の自分であり続けようとする姿勢以上に、みずからを導く原則を明確に意識していることだ。
原則が明確だから、もっと前進して自分を駆り立て、学ぶことにいっそう前向きになり、また不安を受け入れるのをいとわない傾向が強まる。ファンやメディアの騒音や意見をシャットアウトして、正しく調整された羅針盤の内なる声に耳を傾けることができる。