ITの覇権争いをめぐって、米国と中国の間では激しいつばぜり合いが繰り広げられている。なかでもAIの研究開発においては、日本をはじめ欧州各国は米中に大きく引き離されているのが現状で、今後は産業界、ひいては国家経済への影響が懸念される。はたして日本がグローバル競争に勝ち残る道はあるのか。AIアプリケーションを開発する独自のツールで、だれもが統合知能を開発できる社会を目指す、慶應義塾大学の山口高平教授に、日本のAI研究が進むべき道を聞いた。
ウィキペディアの知識を基に推論可能なAIシステムを開発
――ロボット喫茶店や小学校の授業支援などの実装実験を行っていますが、その基盤となっているPRINTEPS(プリンテプス)とはどういうものですか。

人工知能ビッグデータ研究開発センター長
山口 高平(やまぐちたかひら)氏
1979年、大阪大学工学部通信工学科卒業。1984年、大阪大学大学院工学研究科通信工学専攻後期博士課程修了。1984年、大阪大学産業科学研究所電子機器部門助手。1989年、静岡大学工学部情報知識工学科助教授。1996年、南カリフォルニア大学情報科学研究所客員研究員。1997年、静岡大学情報学部 情報科学科教授。2004年より現職。(一般社団法人)人工知能学会元会長(2012~2014年)、現顧問。情報システム学会現会長。
さまざまなAIアプリケーションを開発するためのツール、プラットフォームをPRINTEPS(PRactical INTElligent aPplicationS)と呼んでいます。2014年10月から国の戦略的創造研究推進事業の1つとして研究開発に取り組み、今年が最終年度になります。
PRINTEPSは、知識推論、音声対話、人と物体の画像センシング、動作、機械学習・ディープラーニング、という5種類の要素知能を連携させた統合知能をつくるものです。従来の研究スタイルは、専門的な分野を深掘りするディシプリン型の研究が主流でしたが、PRINTEPSでは、いろいろな分野の研究を横断してつなげるトランスディシプリン型の研究スタイルを取っています。
現在の第三次AIブームをけん引するディープラーニングは、いわば目を使った仕事の代行が大きな役割であり、人工知能というよりも人工知覚といったほうがわかりやすいでしょう。工場で不良品を判定する検査や、医療画像を見て初期のがんを診断するところでは大きく貢献していますが、頭のなかで知識を使って、推論するという、目に見えないところではほとんど無力です。一般社会では、そこがあまり認識されていません。
AIが人を超えるシンギュラリティ(技術的特異点)が到来するという意見がありますが、総合知能を考えると、圧倒的に人間のほうが上で、AIの実験をやると、人のえらさ、かしこさを再認識させられることが多いです。
――ディープラーニングで推論するのは難しいとのことですが、PRINTEPSでは、どのレベルまでそれが可能なのですか。
推論には、やはり知識が必要です。知識の質と量で推論のレベルは決定されます。我々の研究では、ウィキペディアからオントロジーと呼んでいる言葉の意味ネットワークをつくっています。たとえば、「夏目漱石」と入力すると、ウィキペディアには、代表作に「坊ちゃん」や「こゝろ(こころ)」があると書いてあるわけです。そうした言葉のネットワークを1000万ノード以上の規模で開発しました。それをPCに入れて、ヒト型ロボットと送受信すれば、何を聞いても、たいがいは答えられるというわけです。
3年前、ラジオ番組に招かれて、哲学者とロボットの対話を行ったことがあります。哲学者が「神様はいますか?」と聞くと、ロボットは「神様と存在は、関係ないみたいだよ」と答えました。ウィキペディアの知識をベースにしたシステムのため、「神様」という言葉はあっても「存在」というリンクが「神様」からは張られていなかった。それで「not found」と答えたに過ぎないのですが、哲学者の方は「哲学的に深い答えだ」と感心していました。
また、ウィキペディアからつくった言葉のネットワークを利用したロボットが、あるイベントの業務案内をしていたところ、ある訪問者が、こんなことは知らないだろうと思って、「プロゴルファーのジャック・ニクラウスが初優勝したトーナメントは何?」と聞くと、「オハイオ・オープン」と返ってきました。
つまり、ロボットは知識の量はすごいが、推論に深みはない。一方の人間は、知識量は少ないが、その少ないデータを基にいろいろ探索して、深い推論ができます。ここに相補的な関係が誕生したなと感じました。人とAIが協働する1つの姿を、ラジオ番組やイベント業務案内を通じて見出したというわけです。