クリステンセン教授の「魔法のような授業」

 筆者は一度だけ、あるフォーラムで、クリステンセン教授の講演を直接聞いたことがあります。

 クリステンセン教授は元バスケットボール選手で、2メートルを超える長身。話し方もさぞ迫力があるのだろうな、と思っていましたが、彼の口から出てくる言葉はおだやかでゆっくり。HBSの教授というより、宗教者(注:実際にモルモン教に深く帰依しておられました)の言葉を聞いている気分になりました。

 ノーリア学長はそうした話し方になっているのは、クリステンセン教授の人間のあり方を現している、と語っています。

 彼は自分の素晴らしさや機転を人に印象づけようなんてことは全く思っていない。「破壊的イノベーション」を提唱している人だから、みんなに「ほら、早く!」とせき立てるだろうと思うかもしれませんが、彼が言っていたのは「スピードを落として。ゆっくり」ということでした。そして、一緒に丁寧に考えましょう、と。彼は理論や概念というより、ゆっくり丁寧に考えることを広めたいと思っていたのかもしれません。

 教室でも全く同じでした。彼は、誰もが世界で起こっていることを理解する理論が必要だと思っていました。彼の役割は、学生一人ひとりが世界の因果関係を理解するよりよい理論を自分でつくるのを助けること。もちろん「破壊的イノベーション」という彼自身の理論は持っていますが、学生にはそれより優れた理論を考えてもらいたいと思っていたのです。

 ノーリア学長にインタビューしているフェリックス・オーバーフォーツァー・ギー教授も、クリステンセン教授が「破壊的イノベーションの理論は間違っている」という趣旨の学生の課題論文に対して、「ここから学ぶ」と言って興味深く読んでいた、という思い出を共有しています。

 クリステンセン教授は長年にわたって、様々な病気と闘ってきました。脳卒中となり、言葉がうまく話せなくなった時期があります。ノーリア学長は「しばらく休んで回復につとめたらどうか」と提案したものの、クリステンセン教授は「言葉が出てこなかったら学生に聞けば、彼らが教えてくれますので」と言って教え続けたそうです。

 病気を発表する前も、クリステンセン教授は学生と共に考える「魔法のような授業」をしていましたが、言葉がうまく話せなくなった後は、「もっと魔法のような授業」になった、とノーリア学長は振り返っています。

 そして病気を経て、語る内容も変わっていきました。それが「あなたの人生を測るものさし(how to measure your life)」でした。ノーリア学長は、クリステンセン教授はまさにその言葉通りに生きたと言っています。

 クレイは、人生を測るものさしは、あなたが接した人との関係だと言っていました。彼が亡くなったニュースに対して、おそらく私が過去に見てきた中で最も多くの人が、追悼の意、彼への愛を示しました。もし彼自身の人生を彼が言っていたものさしで測るならば、彼は並外れて素晴らしい人生を生きたといえるでしょう。

 その追悼は、彼が天才であったということよりも、彼の人間性に対しての言葉でした。彼が人間としていかに多くの人に深い影響を与えたかがわかります。

 そしてノーリア学長は、特に思い出に残っているクリステンセン教授との話を語ります。

 クレイはだんだん歩くのも難しくなっていました。そして学長室にやってきて、「もう授業を教えることはできないと思う」と言いました。そこから続けて「他の教授に頼んでいる自分の授業の教室に車いすで座って、学生や教授たちに役立つことがあるなら何でも提供したい。それでもよいか」と私に聞きました。

 何と言ってよいかすらわかりませんでしたが、「やりたいことは何でもやってください、でもやりすぎないで、自分の健康を大事にしてください」と伝えました。

 私のオフィスからちょうど、学校にやってくる人が歩く道が見えます。毎日、朝早く、奥様がクレイの座る車いすを押して、学校にやってきました。この姿は一生忘れません。車いすに乗って、学生や同僚の先生たちのためにただそこにいる。それが彼にとってとても大切なことだったのです。

 クリステンセン教授は、自分が10歳も年上でノーリア学長とは30年近い付き合いにもかかわらず、ノーリア学長のことを決してファーストネームでは呼ばず、敬意を込めて「学長」と呼び、話がある時は事前に予約を取ったうえで来ていたそうです。

 このPodcastを聞いていると、ノーリア学長も、インタビューをしているオーバーフォーツァー・ギー教授も、クリステンセン教授の生き様に思いを馳せ、彼がもういないということに深い悲しみを感じていることが伝わってきます。そしてインタビューは、オーバーフォーツァー・ギー教授の涙をこらえながらのこの言葉で終わりました。

 なんて素晴らしい人、なんて素晴らしい人生だったのでしょうか。