
自分たちは何を目指す会社なのか。自社のパーパスを社内外に周知することは、さまざまな効果をもたらす。従業員にとっては進むべき方向が明確になり、投資家が業績を予測するうえでも重要な情報になるだろう。ただ筆者は、「我が社は◯◯ではない」という正反対の方向性でアイデンティティを定義することも、「我が社は◯◯である」というメッセージと同等の価値を持つと主張する。
社員と投資家は、企業が何を目指していて、どのように利益を上げる計画かを知りたがる。ドイツの自動車大手BMWの「私たちはナンバーワン。前に進み続ける人たちを刺激したい」という言葉のように、会社のパーパス(存在意義)が明らかにされていれば、社員は進むべき方向を理解しやすくなる。そして、会社のビジネスモデルがわかれば、投資家は会社の業績を予測するうえで重要な情報を得られる。
しかし、企業のコミュニケーションにおいては、これとは正反対のメッセージが同じくらい有用な場合もある。それは、何が自社のアイデンティティに反するのか、そしてどのような戦略を採用しないのかという情報だ。
そうしたコミュニケーションは、会社が激しいストレスや危機にさらされているときに、とりわけ威力を発揮する場合がある。たとえば、2008年の金融危機で銀行への不信感が過去になく高まったとき、協同組合型金融機関は「私たちは銀行ではありません」と訴えることにより、信頼性や財務の健全性をアピールできた。
このアプローチは、まだ会社の戦略やアイデンティティが定まっていなかったり、会社が変化を余儀なくされていたりするときにも、有効な場合がある。配車サービス大手のウーバーは、強力なビジネスモデルを確立するのに時間を要したが、それまでは「私たちはタクシー会社ではありません」という言葉が自社のビジネスを定義づけていた。
私たちがこのアプローチに関心を持ったのは、あるドイツ企業を対象に掘り下げた定性的な調査を行ったときだった。本稿では、その会社を仮に「ムステルマン」(訳注:ドイツ語で「名無しの権兵衛」の意)と呼ぶことにする。
ムステルマンはドイツ屈指の通信機器・エレクトロニクス製品の会社で、欧州市場でも大きな存在感を持っている。1985年に2人の大学生が実家で創業した会社だが、今日では年商4億ドルの大企業に成長した。社名は仮名に差し替えたが、以下で紹介する人々の発言はいっさい改変していない。