母親と父親では失業による体験が異なる

 私がインタビューした多くの男性が、ロバートとトッドのように自尊心を傷つけられた。だが同じ失業者でも、女性の場合は少なくとも失業して最初の数ヵ月は、若干状況が違っている。

 失業した弁護士のドリスは、「自分が母親であると確認できることが多い」と語った。仕事をしていたときには、仕事の忙しさに「引っ張られて」、二人の息子と過ごす時間が思うように取れなかったという。

 また、別の社会との接点ができたと話す女性は多い。専業主婦の社会だ。ダーリーンはある平日の朝、息子の学校に顔を出すと、PTAの他の母親たちに歓迎された。「誰も『火曜日の朝10時なのにどうして来れたの』なんて聞く人はいなかった」

 仕事をしていない理由を説明させられずに済み、ダーリーンは、熱烈に受け入れられたと感じた。「『ほら早く、あなたの助けが必要なの!』という感じでした」

 一方、失業した父親は、親子関係に関して異なる経験をしている。ウィリアムは、平日に4歳の息子の面倒を見ているとき、不安を感じた出来事があった。

 近所のプールに息子を連れて行った。そこには「20人くらい母親がいて、自分がいた。どうやって輪に入ればいいかわからなかったし、むしろ入りたくないんだ。あの人は何と思われるから気が引ける」。ダーリーンとは真逆の居心地の悪さだ。

 それでも、失業によって理想的な働き手理想的な母親の両立という不可能なタスクから解放された女性たちでさえ、時間が経つにつれ、プロフェッショナルな仕事への関わりを切望するようになった。

 さらに、失業した一部の母親は、育児を通して規則正しい生活、目的意識、新しい人との付き合いを得ているのは確かだが、それが可能な理由として、言うまでもなく働く女性の仕事が男性の仕事ほど重視されていないことが大きい。夫よりも収入の多い女性でさえ、家庭内の目に見えない無給の仕事の責任を負わされ続けている。

「父親」は米国社会では依然として、男性が家庭に貢献するための正当な理由とは見なされていない。そのため失業男性にとって、父親という役割は、就業の潜在的機能を代替するものとしては不十分なのだ。

 このパラダイムは、有給の仕事で女性が男性と同等に働くことを困難にし、また無給の仕事や育児で男性が女性と同等に働くことを困難にしている。