労働市場の不確実性は
数十年前から高まっている

 米国企業は数十年前から、多角化・拡大路線からスリム化へと方向転換している。いまや多くの企業がレイオフ(一時解雇)や事業規模の縮小、適正化を構造的に必然だと考えている。

 2007~2009年の金融危機後の大不況を転換点として、労働市場は不確実性へと明確に向かい、それは高学歴ワーカーにとっても同じである。今日、ソーシャル・ディスタンシング(社会的距離)が経済に及ぼす副次的影響は、米国でさらに広範なプロフェッショナルのキャリアを一変させる恐れがある。

 個人や家族への経済的コストは当然大きいが、人への影響はどうなのだろうか。

 トッドは、収入だけでなく社会的地位を失い、激しい羞恥心を味わった。労働市場から拒絶され、失業者として面目を失い、自信を失った。人とどう接してよいかも、時間をどう有意義に過ごしたらよいのかもわからなくなった。

 トッドが経験したことは、この時代の現実を映し出している。

 就業や失業は、その人の倫理的価値を表す本質的な指標となった。数十年前、社会学者のアーヴィング・ゴッフマンは、失業を「無用とされたアイデンティティ」と見なした。その意味するところは、失業者は他者から疑いの目で見られるために、十分に社会参加をさせてもらえないということである。

 私は調査を通じて、この烙印を押す行為の実体験を耳にしてきた。たとえば、私の研究で取り上げた、ロバートというやはり失業した男性は、近所の人や友人から変に慎重な態度を取られ、まるで自分と気兼ねなく付き合えば失業が「伝染する」と恐れられているようだったという。

 大恐慌や、1980年代のアイオワ州の農場危機(1979年にFRBがインフレ対策として実施した利上げで農家の債務が膨らみ、結果的に同州が経済危機に陥った)などの不況に関する調査に基づき、就業には収入以外の重要な機能があるとする学者もいる。社会的地位やアイデンティティの基盤となる他に、規則正しい生活を送る方法であり、目的意識が生まれ、人づき合いが広がる。

 この視座に立てば、失業は収入を奪うだけでなく、生活を整えている中心的な要素を損なう。