
科学的管理法、競争優位、株主価値の最大化……いずれも20世紀の企業経営をリードしてきた代表的なマネジメント理論である。では、新しい理論はどこにあるのだろうか。残念ながら、まったく見当たらない。なぜなら、マネジメント理論が資本主義を拠り所に発展してきたからだ。資本主義そのものが重大な転換点を迎える中、こうした理論はみずからの「死」の問題と真剣に向き合う必要がある。
「新しいマネジメント理論はどこにあるのか?」――私は先日、企業経営者と研究者とジャーナリストが集まって仕事の未来について話し合った場で、マネジメントのトレンドをつぶさに観察している人物からこう言われたことがあった。
これは、いまから数ヵ月前の話だ。その時点では、「未来」がこんなに早く訪れると予想していた人もいなかったし、このような「未来」が訪れると予想できた人もいなかった。
同様の問いを聞いたのは、これがはじめてではない。この種の集まりでは定番の問いだ。しかし、仕事のあり方が突如一変して以降、私はこの問いについて考え続けてきた。
理論は、分析と行動の大枠を定めるという点で重要な役割を持っている。激しい変化が起きているときは、未来が不透明で、不安感が高まる。そのような時期には特に、マネジャーは、状況を明確に理解して安心感を得るために理論を必要とする。
科学的管理法、人間関係論、競争優位、株主価値の最大化、破壊的イノベーション。これらは、20世紀のマネジメントを牽引してきた理論の一部にすぎない。こうした理論は、マネジャーの行動に根拠と指針を、そしてときには言い訳の材料を与えてきた。また、理論はマネジメントのあり方を形づくり、あるべきマネジャー像も表現してきた。
たとえば、フレデリック・テイラーが提唱した科学的管理法。「テイラー主義」という呼称でも、よく知られている考え方だ。これは、最も長く定着しているマネジメント理論と言っても過言でないだろう。
科学的管理法の考え方によれば、マネジャーの仕事は、生産システムの効率を高めることだとされる。そして、マネジャーは、テイラー博士さながらに冷静沈着なエンジニアであるべきだということになる。膨大な量のデータを分析することにより、最も典型的なエラーの源泉――すなわち人間――に対抗するのが役割だとされてきたのだ。
私は大学で経営学を教えている以上、新しいマネジメント理論に精通していてしかるべきなのかもしれない。しかし、私は「新しいマネジメント理論はどこにあるのか?」といった問いに対して、該当する理論を一つも挙げることができずにいる。
なるほど、コロナ禍により大激変が訪れる前にも、新しいマネジメントのノウハウの類いは大量に出回っていた。マネジメントを題材にした記事も山ほど書かれている。その中には、輝かしい成功例もあれば、滑稽なエピソードもあるし、救いようのない悲劇の物語もある。一方、経営幹部たちは、ビジョンを大切にし、エビデンス重視の姿勢を徹底し、ときにはマニフェストを執筆したりもしている。
でも、新しいマネジメント理論となるとどうだろうか。そのようなものは、まったく見当たらないように思える。
こうした状況には、経営学者たちも戸惑いを禁じえない。アルゴリズムで動く企業に、古いマネジメント理論がまだ通用するのか。新しい理論を打ち出せる研究者はいないのか。経営学者たちは、こうした疑問を抱いている。