製品やサービスを通じて新たな顧客価値を創出し、ITで実装する上で、大きな力を発揮するのがデザインアプローチだ。日本を含む世界12都市で事業を展開するデザイン専業のコンサルティング企業、Starの創立者、ユハ・クリステンセン氏は、その成功のカギは「エンパシー(共感)」と「コ・クリエーション(共創)」にあると語る。日本の大企業がデジタル時代を生き抜くための戦略を提示する『信頼とデジタル 顧客価値をいかに再創造するか』に収録したインタビューを再構成して紹介する。

本記事は書籍『信頼とデジタル 顧客価値をいかに再創造するか』ダイヤモンド社刊)からの転載です。

すべての基礎に「エンパシー(共感)」がある。

── Starでは、顧客の課題に対してどのようにアプローチしているのか、その基本的な考え方をまずお聞かせください。

 私たちが大切にしているコンセプトは3つあります。中でも、最も重要なのが「エンパシー(共感)」です。美しい花が咲き誇る庭を作るためには、最初によい土、水、肥料を用意しなければいけません。私たちにとってのエンパシーはすべてを育てる土壌です。

 2つめが「オペレーションの現実」です。顧客企業の業務のオペレーションは、部外者が無理矢理変えようとしてもうまくいきません。ビジネスの現場で動いているオペレーションは、さまざまな歯車を複雑に組み合わせた機械のようなもので、繊細なバランスの上に成り立っています。まずはその現状を共感とともに理解しなければ、改善するつもりで大切なものまで壊してしまうことになりかねないのです。

 3つめが「エンドゲーム」です。これは、顧客企業がめざすべき「将来像」を指す言葉で、デザインアプローチに欠かせない概念です。3年後、5年後、10年後に、企業として、誰にどんなサービスを提供していきたいのか、その最終イメージを具体的に描くのです。このプロセスでは、できるだけ夢を大きく描くことが大切です。現在の問題やしがらみを忘れてオープンに語り合い、本当にやりたいこと、やるべきことを見つめ直すのです。

 エンドゲームで描いた未来像が実現するかどうかは、オペレーションという現実をどこまで変革していけるかにかかっています。いまの時代、10年も経てば、仕事のやり方もサービスのあり方もすっかり変わります。ということは、オペレーションが10年経っても変わらない企業は、ビジネスで確実に負けるのです。現実をしっかりと理解した上で、どんな未来に「ワープ」するか、どう変わりたいのかを明確に見定めるためにはエンドゲームの認識が欠かせません。

──実際の事例をもとに、デザインプロジェクトのプロセスを紹介してください。

 中国・上海に拠点を置き、革新的なEVを発表している自動車メーカーのスタートアップ、蔚来汽車(NIO)におけるデザインプロジェクトを紹介したいと思います。当初、蔚来汽車から示された要望は「音声で対応できるデジタルアシスタントをEVに搭載したい」というものでした。しかし、実際にカスタマーの意見を聞いてみると、反応はそれほど芳しくありませんでした。似たようなものがたくさんあるので混乱する、というのです。こうした意見も反映し、最終的には、ダッシュボードにAIロボットの「表情」をつけるデザインに落ち着きました。人が呼びかけると、ロボットヘッドがくるくると向きを変えたり、液晶画面にさまざまな表情を表示させながら車内の機器操作などをアシストするのです。シンプルながら動きも表情も実に愛らしく、美しい製品になったと思います。

 この事例のポイントは、自動車に新たな機能を付加したことでなく、これまで「ただの移動手段」だった自動車を「人間のように対話できるデバイス」に変え、関係性を構築できるパートナーのような存在として新たな価値を提示したことだと思います。

 新しいデジタル機器を生活の中にスムーズに受け入れてもらうためには、カスタマーへのエンパシーを基礎に、クリエイティブなプロセスを経て、最適なデザインに落とし込む必要があります。この事例の場合は、設計者やデザイナーが顧客企業やカスタマーを十分に理解し、より高い視点から課題を俯瞰できたことがポイントでした。そして、真の課題が「デジタルアシスタントをつくること」ではなく、「人と車との新たな関係を築くこと」だと気づくことができたのです。

 そのために、私たちはまるで探偵のようにカスタマージャーニーを詳しく調べ上げました。そして、カスタマーが自動車とどのように関わっているのかを掘り下げ、そのプロセスのどこに摩擦(フリクション)が発生しているか、つまりカスタマーがストレスを感じたり、不便に思うポイントを調べました。「摩擦」は気づきを生み出します。消費者が引っかかりを感じる場所にこそ工夫の余地がありますし、差別化につながる価値や優位性を生み出せる可能性が高いからです。こうした下準備をもとに仮説を立て、デザインを進めていきました。

 プロダクトデザインにおいては、消費者にとって最も魅力的であり、企業にとって最も利益が得られる地点を探ることが重要ですし、そのソリューションがブランド価値に合致しているかどうかを絶えず意識していなくてはなりません。こうして完成したAIロボットは<nomi>と名付けられ、今では蔚来汽車のアイデンティティといえるほどの大きな資産になっています。