
突然、訪れる大切な人との別れ。覚悟をしていても、近親者と死別した悲しみは大きな痛みを残す。多くの会社が何らかの忌引休暇制度を設けているが、葬儀の手配から遺産の整理まで、数日間仕事を離れるだけでは不十分だ。さらにその悲しみは、繰り返し押し寄せてくる。コロナ禍の収束が見えない中、企業は育児休暇の見直しやリモートワークの制度化に取り組んでいるが、忌引休暇に関しては手付かずのままだ。世界中が命の危機にさらされているいまこそ、忌引休暇を再考しなくてはならない。
2017年のバレンタインデーは、私が人生で最も衝撃的な経験をした日の一つだった。何の警告も前兆も知らせもなく、父が死んだのだ。あれから3年以上経ったいまも、父が見つからないと半狂乱状態の母がかけてきた電話の内容を、つぶさに思い出すことができる。
私は夫と当時2歳と4歳だった子どもたちと車に乗り込み、ニューヨークからマサチューセッツまで車を走らせた。渋滞にはまり、娘は何度も嘔吐した。車をガレージに停めて、実家の玄関にたどり着いた時には、深夜になっていた。父が無事で家にいて、私たちを待っていてくれることを祈りながら……。だが、現実はそうならなかった。
それからの数日間は、永遠に目覚めることのない悪夢のようだった。
幸い、両親の経済状態はよかったが、やらなければならないことが膨大にあった。棺を選び、火葬の手配をし、父に着せるスーツを選び、検死を受けるかどうかを決め、父の携帯電話を解約し、社会保障の受給を打ち切り、請求書の宛先を母に変更し、死亡記事を用意する。
それから、親族や友人(父の一生分だ)に、父の死を知らせなくてはならなかった。誰かに伝えるたびに、父の死というトラウマ(心的外傷)を再経験しなければならないことはわかっていた。
私は夫に頼んで、上司のエグゼクティブアシスタントに電話をかけて、しばらく会社を休むことを伝えてもらった。私は必要な有給休暇をもらうことができ、上司やチームに支えられていると感じた。仕事仲間から受けた、あふれんばかりのサポートを、私はけっして忘れないだろう。
だが、残念ながら、これは誰もが経験することではない。