
Beatrix Boros/ Stocksy
国内総生産(GDP)は経済成長を評価する指標として世界中で用いられ、各国の政策面の意思決定を左右している。しかし、GDPには経済的公平性や人種間の不正義などが、どの程度マネジメントされているのかは反映されていない。気候変動による自然災害が発生した時、その復旧・復興に伴う需要増が数値を押し上げることもある。GDPを有効に活用しながら、私たちのウェルビーイングが適切に反映されるためには、どうすればよいのだろうか。
2020年第3四半期、米国の国内総生産(GDP)が年率換算で33.1%という空前の成長率を記録したと聞いて、ほとんどの人は悪い冗談だと感じた。
このデータそのものが間違っていると思ったわけではない(この目覚ましい成長率は、2020年の春と夏に米国経済がどん底まで落ち込んだあとの急反発によるものだ)。問題は、GDP成長率の数値が大半の人の生活実感と完全に乖離していることだ。
いま米国社会は、途轍もない規模の公衆衛生危機に見舞われ、生活困窮者に食料品を配布するフードバンクには長い行列ができ、巨大ハリケーンが続々と押し寄せ、人種間の甚だしい格差が浮き彫りになり、人々が極度のストレスと重圧を感じている。
このような状況で、米国経済が歴史的な大成功を収めているという漠然とした数値データを聞かされても、誰も納得がいかない。本来ならば、そのデータは、社会がどれくらいうまく機能しているかを映し出すものという触れ込みであるが。
そこで、1つの疑問が浮上してくる。どうして、我々のウェルビーイングをほとんど反映できない指標に従って、経済の状態を数値評価しているのか。