
インポスター症候群という言葉を耳にしたことがあるだろうか。自分の能力を過小評価し、実力を偽っている詐欺師であるかのように思い込んでしまう状態を指す。問題は、そうした自信の欠如は誰もが経験するものにもかかわらず、ひとたび自己不信に陥ると、女性だけがインポスター症候群のレッテルを貼られてしまうことだ。その根底には、白人男性中心の職場に埋め込まれた構造的なバイアスと人種差別があると、筆者らは指摘する。本稿ではインポスター症候群の概念を再検証し、リーダーが歴史的・文化的コンテクストを考慮に入れた、真にインクルーシブな職場を構築するにはどうすべきかを論じる。
タリサ・ラバリーは疲れ果てていた。法人向けのイベントマネジメント会社で、厳戒態勢が求められるイベントのプランニングリーダーを務めていた彼女は何カ月もの間、毎日夜中まで働き、週末も休まずに仕事をしていた。注目を浴びていたそのイベントの基調講演者は、バラク・オバマ元米大統領だ。
ラバリーは、複雑なロジスティクスであればノウハウがあった。だが、社内政治に関してはそうではなかった。そのため、自分の実力を発揮する絶好の機会は、悪夢のような状況に変わった。同僚は彼女を問い詰めて非難し、プロフェッショナルとしての意識が足りないと言い始めた。ラバリーは何らかの決定を下すたびに、陰湿ないじめやあからさまな意地悪をされた。
こうした扱いを受けるのは、自分の人種のせいだろうか。ラバリーは考えあぐねた。彼女はチームで唯一の黒人女性だったのだ。クライアントからは常に称賛されていたにもかかわらず、自分にはその仕事にふさわしい能力があるのかと自己不信に陥っていった。
プランニングチームの雰囲気はとげとげしくなり、ラバリーはいつの間にかリーダーから共同リーダーに格下げされ、やがては同僚全員から無視されるようになった。自分の役割が少しずつ減らされるたびに、彼女の自信も少しずつ失われていった。ラバリーは深刻な不安と自己憎悪、そして自分が「能力を偽っている詐欺師」だという感覚にさいなまれるようになった。
最初に感じていた「自分はそこに馴染めるか」「同僚に好かれるか」「よい仕事ができるか」という健全な不安は、職場環境のせいでトラウマになり、ラバリーは自殺を考えるまでになった。
ラバリーは、そうした経験をConfessions From Your Token Black Colleagueにまとめている。当時を振り返ると、自分が「インポスター(詐欺師)症候群」(imposter syndrome)に陥っていたのは、自信の欠如が原因ではなかったとわかる。問題は、構造的な人種差別とバイアスに繰り返し直面したことだった。
インポスター症候群の
定義を検証する
インポスター症候群は、大まかには「自分の能力を過小評価し、実力を偽っている詐欺師であるかのように思い込むこと」と定義される。これは特に、飛び抜けて大きな成果を上げる「ハイアチーバー」の間に見られる。自分の実績をありのままに受け止めることが難しく、自分は称賛に値するのかと多くの疑問を感じてしまう。
この概念は、心理学者のポーリン・ローズ・クランスとスザンヌ・アイムスが、高業績を達成した女性を対象にした1978年の研究で示したのが始まりだ。当時は「インポスター現象」(imposter phenomenon)と呼ばれていた。「学業と職業で傑出した成績を上げても、インポスター現象を経験した女性は、自分が実際には優秀ではなく、周囲の人を欺いていると思い続けている」と、2人は書いている。
その発見は以後数十年にわたり、女性のインポスター症候群に対処するソートリーダーシップやプログラム、イニシアティブに拍車を掛けている。
シャーリーズ・セロンやビオラ・デイヴィスなどのハリウッドの大女優から、フェイスブックのシェリル・サンドバーグ最高執行責任者(COO)といったビジネスリーダー、さらにはミシェル・オバマ元米大統領夫人やソニア・ソトマイヤー米最高裁判事まで、インポスター症候群を経験したと告白する著名人が続々と声を上げた。
グーグルで「インポスター症候群」と検索すると500万件以上の結果が表示され、出席すべき会議や読むべき書籍、さらには「鏡の前で実績を暗唱すること」といった解決策が列挙される。
だが、そもそもなぜインポスター症候群が存在するのか、女性がインポスター症候群に陥り、それを悪化させるのに職場がどのような役割を果たしているかについては、ほとんど研究されていない。成功した女性が自己不信に陥るのは本当にインポスター症候群のせいなのか、疑問の余地があると筆者らは考えている。
インポスター症候群の概念が構築された時、構造的な人種差別や階級差別、外国人排斥といったバイアスの影響は、完全に抜け落ちていた。非白人女性や、さまざまな所得レベル、ジェンダー、仕事のバックグラウンドなど、多くのグループが研究対象から除外されていたのだ。
現代の解釈でも、インポスター症候群の原因は個人にあるとされ、その根底にある歴史的・文化的コンテクストは考慮されていない。非白人女性にとっても白人女性にとっても、そうしたコンテクストが根底にあるのは明らかにもかかわらずだ。インポスター症候群は、私たちの視線を「女性が働く職場環境をどう変えるべきか」ではなく、「職場の女性をどう治すべきか」に向かわせる。