
管理職に昇進することは、キャリアにとって望ましいステップだと考えられている。だが、ステップアップしたにもかかわらず、ステップダウンしたかのように感じる「管理職の憂鬱」に陥る場合がいる。仕事に意義を感じられず、いずれ職場を離れることになれば、個人にとっても組織にとっても大きな損失となるだろう。そこには、以前の業務から新たな役割に移行する際の「期待」が影響していると、筆者らは指摘する。組織やリーダーが管理職の憂鬱を正しく理解し、昇進後も彼らに最大限の能力を発揮してもらうために何が必要かを論じる。
管理職になることは通常、キャリアの望ましいステップと考えられている。名誉があり、やりがいもありそうな地位に就くことは大きな業績と見なされ、より多くの責務を任せられる存在として組織から信頼されたことを示す明白な証でもある。
ところが、一部の人々は「管理職の憂鬱」を体験するというエビデンスがある。管理職の仕事に幻滅し、それまでの仕事ほど有意義でないと感じるのだ。その結果、管理職になってさほど時間が経たないうちに、あっさりと職場を去ってしまう場合もある。これは本人のキャリアにとっても組織にとっても、はなはだしい損失だ。
では、どのようにすれば、管理職の憂鬱に陥りそうな従業員を予測できるだろうか。パリの地下鉄に勤務する、昇進まもないスーパーバイザーを対象としたインタビュー調査に基づく筆者らの研究結果から、いくつかの答えを提供する。
筆者らは、2つのグループから成る合計58人にインタビューを行った。半数は元運転手で、もう半数は元駅員(ほとんどが乗車券販売に従事)だった。インタビュー記録の帰納的コーディングの結果、元運転手だけが管理職の憂鬱を報告していたことがわかった。この違いを理解するカギは、以前の仕事から新たな仕事に持ち込む「期待」にあると考えられる。
元運転手は長年、仕事で生死に関わる状況に対処し、人々の命を預かっているという強い責任感を常に抱いていた。ある人は次のように話してくれた。「1本の列車には、およそ600~800人のお客様が乗車しています。私たちは乗客全員と列車の安全、そこで起こるすべてに対して責任があるのです」
元運転手は「人々の命を危険にさらすこと」を恐れ、ミスを犯さないために「細心の注意を払い」「用心深く」なる必要があった。自殺や飛び込みなどの重大な事件に直面した時、個人の責任感は特に高まった。ほぼ全員が、現役時代に少なくとも1回は自殺に遭遇していた。
そうした出来事は、何年経っても心を離れない。「こうした瞬間は、心に大きな傷を残します。絶対に忘れられるものではありません」と言う人もいた。
だが、元運転手の強い責任感を形成したのは、生死に関わる問題への対処だけではなかった。運転は一人で遂行しなければならない仕事である。何か問題が発生した時、同僚に助けを求めることはほぼ不可能で、誰とも責任を分け合えない。
ある人は運転手時代を振り返って、次のように語った。「批判が起きた時に、責めを負うのはただ一人。私がしたことの責任は、私が負うのです」
管理職の打診があった時、元運転手も元駅員とほぼ同じように「プロフェッショナルとして進化する」「給料が上がる」「何か新しいことを学べる」と、胸をときめかせていた。
ある人はこれを「挑戦」ととらえ、「自分を豊かにできる」と考えて引き受けた。こうして他の同僚と同じように、担当する地下鉄路線で25~50人の従業員を監督し、そこで起きるあらゆる問題の責任者になったのである。
全員が、管理職に必要なマネジメントスキルを磨くために1年間の研修を受け、新しい仕事の内容を十分理解していた。筆者らがインタビューを実施した時点では、すでに約4年間、管理職として働いていた。新しい職務に適応するのに十分な時間といえよう。
だが、元運転手と元駅員では同じ管理職の仕事であっても、まったく異なる体験をしていた。