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ウーバーやアマゾン・ドットコムのように、従業員を自社のルールに強引に従わせるのではなく、会社にとって好ましい行動をさりげなく後押しする「ナッジ」を活用する企業が増えてきた。アルゴリズムを活用したナッジは、それ以前とは比較にならないほど実行性の高いものになっている。ただし、働き手が望まない行動を促されたり、データを収集・保管する方法が不適切だったりするなど、倫理面での批判が高まっていることも事実だ。本稿では、ナッジをトラブルなく実施するための3つの施策を提案する。


 最近、企業は力ずくで個人を管理・統制するよりも、アルゴリズムを駆使して、好ましい行動を取るように個人を「ナッジ」(そっと後押しする)することを目指すようになっている。一人ひとりの個人データから学習して、巧みに働きかけることにより、それとなくその人の選択に影響を及ぼすのだ。

 フェイスブック上のターゲット広告やパーソナライズされたコンテンツは、ある商品を購入するようユーザーをナッジするものだけではない。2017年に明るみに出たケンブリッジ・アナリティカ事件[編注]をきっかけによく知られるようになったように、その種の広告やコンテンツは、ユーザーが選挙で特定の候補者に投票するよう操作する目的でも用いられている。

「ナッジ」という言葉を一躍有名にしたのは、シカゴ大学のリチャード・セイラーとハーバード・ロースクールのキャス・サンスティーンの2008年の著書『実践 行動経済学』だったが、近年の人工知能(AI)と機械学習の進歩により、アルゴリズムを用いたナッジは、それ以前のナッジに比べてはるかに強力なものになった。

 従業員の行動パターンに関する大量のデータを手軽に入手できるようになったことで、企業は従業員一人ひとりについて、その人の意思決定と行動を大きく変えさせるための戦略を編み出せるようになった。そのためのアルゴリズムは、リアルタイムで調整を加えることにより、アプローチの実効性をいっそう高めていくことができる。

 テキストメッセージ、ゲーミフィケーション、プッシュ通知などの形で、アルゴリズムによるナッジが職場で用いられるケースが増えている。

 たとえば、配車サービスを展開するウーバーは、300万人を超すドライバーたちにご褒美のバッジを配布するという心理的な仕掛けを用いて、独立した立場のドライバーたちに強制することなしに、長時間働かせている。フードデリバリー・サービスを提供するデリバルーは、配達員のスマートフォンにプッシュ通知を行うことにより、配達のスピードを速めるように促している。

 従業員に対してナッジの手法を用いることは、従業員のパフォーマンスの向上やコストの節減を成し遂げるための有望なアプローチになる場合が多い。たとえば、航空大手ヴァージン・アトランティックは、ナッジを通じてパイロットに燃料の使用量を抑えるよう促すことにより、コストを大幅に減らしているという。また、グーグルはナッジの方法論を用いて、社員食堂で従業員が健康によいスナックを食べ、フードロスを減らすようインセンティブを与えている。

 筆者と共同研究者らがウーバーについて4年間調査した結果によれば、同社はアルゴリズムを用いたマネジメントとナッジを実践することにより、旧来型のマネジメント手法よりも少ないコストで、大規模な労働力の活動を効率的に調整できている。

 しかし、注意も必要だ。この種の手法に対しては、倫理面での批判が強まっており、規制当局や世論の懸念も高まっている。たとえば、プライバシーの侵害、ナッジにより本人が知らないうちに不利な行動を促されるリスク、そして、アルゴリズムの透明性とバイアスなどに関する批判がある。

 いまのところ、アルゴリズムによるナッジを活用している企業の多くは、いわゆるギグ・エコノミー関連の企業だ。この業種では、働き手が被雇用者と位置づけられておらず、その結果として、企業は政府の規制をそれほど受けずに済んでいた。しかし、この状況は変わりつつあるのかもしれない。

 たとえば、2020年7月、英国でウーバーのドライバーとして働く人たちが同社を相手取って裁判を起こし、ウーバーが欧州連合(EU)の「一般データ保護規則」(GDPR)に基づく法的義務を果たしていないと主張した。具体的には、問題になったのは、アルゴリズムに関する透明性が欠如していることだった。

 米国では、連邦取引委員会(FTC)が消費者のプライバシー保護とアルゴリズムに関する説明責任の強化を目指して、再三にわたり関連の研究に資金助成を行ったり、ガイドラインを発表したりしてきた。

 このようにプライバシー関連の懸念が高まっている背景には、物議を醸すような企業の行動がある。たとえば、アマゾン・ドットコムが作業員に着用させているリストバンドをめぐるニュースが報じられた。このリストバンドは、倉庫で働く作業員に商品の所在をバイブレーションで教える機能を持っているが、作業員の一挙一動を把握してもいる。

 だが、批判があっても、企業はアルゴリズムによるナッジで従業員をコントロールする試みを放棄すべきではない。

 筆者が調査したウーバーの取り組みの成功例と失敗例、そしてフェイスブック、アマゾン、グーグルの取り組みに関する報道を通して見えてきたことを基に、以下では3つの提案を示したい。アルゴリズムによるナッジを実践したいけれど、倫理上の問題や規制関連のトラブルは避けたいと思っている企業の参考になれば幸いだ。