本連載も最終回を迎える。従来の日本企業では、損益計算書(PL)上の営業利益や当期利益といった期間損益や、自己資本利益率(ROE: Return on Equity)などの単年度の業績にばかり関心が偏ってきた。その背景にある問題は、「日本の経営環境の変遷からくる課題」と「企業の組織が内包する課題」「ビジネスパーソン個人における課題」の3つに整理できる。

 本連載中でも指摘してきたように、いまだに多くの日本の企業や経営者は短期的な損益などの経営指標の上がり下がりや株価の動向に一喜一憂し、長期的な企業価値創造に向かうことができていない。あるいは、頭では成長や稼ぐ力の重要性が理解できていても、行動に移せていない。それはなぜか。日本独特の経営環境に起因する課題、日本企業が抱えがちな課題、また日本人ビジネスパーソンに多く見られる課題という3つに分類して、この最終回で解説しておきたい。

1. 日本の経営環境の変遷からくる課題

 ●「売りさえすればよい」という時代が続いてきた

 従来、PL上の短期的な利益にばかり日本の経営者がとらわれがちだった理由の第一に、右肩上がりの時代が続いてきたことがある。

 第二次世界大戦後の高度経済成長期から1980年代終盤まで、日本では人口増加によって国内の需要が伸び続けてきた。いわば製品やサービスを市場に投入しさえすれば売上が増加する時代が続いてきたのである(図表16-1「日本の人口およびGDPの推移(1946〜2018年)」を参照)。

図表16-1 日本の人口およびGDPの推移(1946〜2018年)

 この時代を象徴する考え方の一つが、松下幸之助による「水道哲学」であろう。水道の蛇口をひねると出てくる水のように、良質なものを低価格で大量に供給することによって、製品が多くの消費者の手に容易に行きわたるようにしようという考え方である。良質・大量生産・低価格によって、人口増加による国内市場の成長を捉えていこうとしていたのである。そして、国内市場が大きく成長していく中にあっては、どれだけ売れたか、すなわち、売上高が最も重視された。

 その後、バブル経済が崩壊した1990年代中盤からは、さすがに売上高ではなく損益が注目されるようになった。そして、銀行による間接金融が中心であった時代において企業の安定性を示す指標として重視されていた経常損益ではなく、事業の結果である営業損益が重視されるようになってきた。

 まさに「失われた30年」といわれる事業環境の中で、毎年の経営がいかにうまくいっているのかを示すもの、いわば経営の舵取りの上手さを表すものとして、営業損益をはじめとする期間損益の金額や率が強調されてきた(図表16-2「日本企業の売上高および営業利益率の推移」を参照)。

図表16-2 日本企業の売上高および営業利益率の推移

 このように、第二次世界大戦後において、国内市場が人口増加によって大きく成長する中にあって、売上高を語ればよい時代が長らく続いた。そして、バブル経済が崩壊した後、経営の安泰を営業利益という期間損益によって語る時代に、いきなり突入した。そのため、日本企業の経営者は、PLによって報告される期間損益という毎年度の業績を何よりも重視するようになってしまった。

 今後は、このPL型思考から、本連載でも説明してきたPL&BS一体型思考に転換し、経営をお金の流れによって語っていくべきである。そして、投資家から調達した資金を元手とする事業がどれだけの収益を上げているかという本質的な稼ぐ力を表すROICに加え、企業価値を牽引する源泉である成長と稼ぐ力によるマトリックスへの事業ポートフォリオのマッピングによって経営を捉えるべきである。

 ●国内の競合企業とのみ比較していればよかった

 次に、グローバルに目が向かなかったことがある。

 日本企業の経営では長らく、国内市場における競合企業との比較が最も重視されてきたのである。高度経済成長期において国内市場が成長している時代にあっても、そしてバブル経済が崩壊した後のいわゆる「失われた30年」のうちに世界的に競争が熾烈化してきた時代にあっても、同様であった。

 日本には、各業界における競合企業数が多いという特徴がある。たとえば、化学会社は、2018年度の法人企業統計で「母集団」として推定されている企業のうち資本金が3億円超の企業だけでも1,049社もある。

 伝統的に、国内市場における競合企業との比較が何よりも重視される中で、期間損益は、誰の目にも見える理解しやすい指標として重宝されてきた。そして、期間損益は、新聞や雑誌の記事においても、同業種における複数の日本企業を比較する際に、まるで経営者の成績表のように扱われてきた。こうして、国内市場における競合企業との比較が重視されてきた。

 ますます経済のグローバル化が進み、日本企業だけではなく世界各国の企業とも熾烈な競争が繰り広げられている中では、日本企業が比較すべき対象は国内市場における競合企業だけではない。グローバル市場における競合企業まで含むべきである。

 そして、ベンチマークの結果として改善すべきところが見つかれば、日本市場の特殊性を持ち出して言い逃れるのではなく、まずは「改善できる」と決めてから「どうやって改善していこうか」と考えるくらいの前向きな気持ちで取り組むべきである。こうして、グローバル市場における競合企業と伍していき、それを超えていかねばならない。

2. 企業の組織が内包する課題

 ●事業部門による組織縦割り経営になっている

 続いて、日本企業がもつ組織の特徴からくる問題を整理しよう。

 まず、日本企業は複数の事業を行っていることが多い。いわゆる祖業から始まって、そこで培われた技術力を展開していくことで、隣接する事業を中心に次々と進出しながら、事業分野を拡大してきたのが一般的であろう。そして、これは前述したが、各事業部門があたかも社内における自治権を持っているかのような組織縦割り経営となってしまっている。

 この事業部門による組織縦割り経営では、事業戦略や毎年度の予算などは事業部門単位で作成され、それが各部門によって運用されていく。また、人事でも、入社時に配属された事業部門の背番号を背負って、その事業部門内で本社と日本国内の拠点の間、あるいは日本国内と海外の拠点の間を異動していくようなことになっている。

 また、事業部門による組織縦割り経営の中では、いわゆる本社の経営企画部門も、事業部門からの社内出向というかたちになっている場合がある。そのため、本来は全社の目線で考えていくべき経営企画部門の人材も、いわば事業部門からの代表になってしまいがちである。

 企業経営には、「全社経営」と「事業運営」という二つのサイクルがある。日本企業は、大企業になるほど事業部門による組織縦割り経営のため、この全社経営のサイクルが希薄になってしまっていて、うまく回っていないことが多い(図表16-3「企業経営の2つのサイクル」を参照)。

図表16-3 企業経営の2つのサイクル

 日本企業は、どうしても事業運営のサイクルに目を向けてしまうので、全社経営のサイクルが存在しないか、あるいは存在したとしても、それを回しきれていないのである。

 こうして、日本企業の多くが、事業部門からの積み上げによる「ボトムアップ型経営」になってしまい、企業としての目指す姿から各事業部門のやるべきことを導く「トップダウン型経営」になりきらない。そのうえ、そうしたトップダウン型経営のための全社ベースの視点を持つ人材も育たなくなってしまっている(図表16-4「ボトムアップ型経営とトップダウン型経営」を参照)。

図表16-4 ボトムアップ型経営とトップダウン型経営

 もちろん、トップダウン型経営は善、ボトムアップ型経営は悪、と決めつけるものではない。両者が、求心力と遠心力として共振しながら経営が進むのが好ましい。また、前述したとおり、トップダウン型経営とボトムアップ型経営は、振り子のようにその重心を変えながら経営を進めていってもよいのである。

 この点、日本企業の経営は、ボトムアップ型経営ばかりで進められ、トップダウン型経営で進められることがほとんどないことが問題なのである。

 こうして、企業のミッション、ビジョン、バリューを踏まえつつ、企業ベースの全社戦略から、それぞれの事業戦略、事業からのキャッシュフローの創出、そして企業価値の創造に至るまでの経営をストーリーとして語ることができる人材が育たないままになっている。

 ●社長就任がまるで「最後の昇進」になっている

 日本企業が事業部門ベースの組織縦割り経営である結果として、社長への就任が、あたかも事業部門における実績の積み重ねによる最後の昇進のようになっている場合もある。

 それまで、自分が牽引してきた事業部門の事業に集中してきたので、それらの事業については深く理解していても、その他の事業部門の内容や事業横断的な全社ベースの課題については、そこまで理解できていないということになってしまう。そして、キャリアのほとんどを同一の事業部門内の異動で過ごしてきたので、そうした気づきの機会もあまり持てないままになっている。

 さらには、事業部門ベースでの組織縦割り経営と相まって、たとえ社長に就任しても、出身母体以外の事業部門には遠慮もあってあまり口を挟まないというようなことが往々にしてある。

 最近では、経営の監督と業務執行を明確に分離し、監督機能の強化と経営の適法性を図る目的で2015年5月に導入された指名委員会等設置会社が徐々に増えている。指名委員会のメンバーは取締役会で3名以上選任され、過半数が社外取締役でなければならないことになっている。そして、指名委員会が、取締役会に提出する取締役の選任や解任に関する議案の内容を決定する。

 このため、社長の選任は、さまざまな要素や適性を総合的に判断するものになってきている。それでも、指名委員会等設置会社の数は、日本取締役協会の調査によれば、2020年8月現在、日本の株式上場企業3,781社のうち77社(2.0%)と少ないうえ、社長が指名委員会によって選任されたとしても、昔ながらと変わらない場合がないとは言いきれない。

 欧米などの企業においても、事業部門が事業運営のベースであることは同じである。ただ、将来の幹部候補生は若くして選抜され、事業・機能・地域をローテーションすることによって、全社を俯瞰する目を養うとともに、事業の経営力を鍛えていく。

 事業の経営力とは、事業戦略から始まり、最適な資源配分を行って、洗練されたオペレーションを実行し、高い業績を達成してキャッシュフローを創出していくことである。ただし、日本企業のように同一の事業部門においてその道で何十年というベテランではないから、事業について、端から端まで詳しく知っているわけではない。そのため、事業分野や機能分野における専門家と協働しながら、事業の経営を進めていくことになる。

 その際の「経営力」とは、経営全体を俯瞰する力、そしてそうした専門家に「正しい質問」を投げかけて、経営を導いていく力である。特に、専門家はその道のエキスパートであるので、彼らに対して重箱の隅をつつくような質問をするのではなく、本質的な質問を投げかけることによって、建設的に、ただし詰めるべきところは徹底して詰めながら、見誤ることなく、正しい針路へと進んでいく。

 たとえば、世界最大の化学会社であるドイツのBASFのCEOの経歴は、まさにそのようになっている(図表16-5「BASFのCEO就任までにおけるローテーション」を参照)。

図表16-5 BASFのCEO就任までにおけるローテーション

 こうして、全社ベースの俯瞰した視点を養いながら、特定の事業を超えた見識やスキルも習得して正しい質問力を磨きつつ、戦略という原因から企業価値という結果までを常に意識して、経営にあたっている。日本企業でも、これらの素養をもつ経営幹部の養成のために、事業・地域・機能でのバランスのよいローテーションによる人材育成を考えるべきであろう。

3. ビジネスパーソン個人における課題

 ●ファイナンスは「専門家」のツールと誤解している

 お金の流れによって企業経営の全体像を語るとき、ファイナンスの概念や理論が、共通言語となる、と述べた。その一方で、ビジネスパーソンにとって「戦略」は身近な存在であるのに、「ファイナンス」となるとあまり馴染みがなく、親近感も薄れてしまう。そして、ファイナンスは専門家が使うものであって、縁のない存在として遠ざけがちでさえある。

 ここでいう「専門家」としては、投資銀行や投資ファンドの人たちが、しばしば思い浮かべられる。そして、ファイナンスや企業価値は、株式や企業の売買による錬金術のための悪玉なのではないか、という誤解まで生じてしまっている。

 そもそも、投資銀行や投資ファンドの人たちは、なぜファイナンスの概念や理論を重宝して使っているのだろうか。それは、まさに、企業や事業について、お金の流れによって、企業価値の創造までを総合的に理解できるからである。

 経営者が戦略と業績目標を語るとき、気合と根性に走ってしまい、両者の因果関係がつながりきらない、ということがある。そこを、投資銀行や投資ファンドの人たちは、ファイナンスの概念や理論を共通言語として、原因である戦略から結果である企業価値までを、過去・現在・未来の時間軸において、一気につないで把握するのである。

 投資銀行や投資ファンドの人たちは、Microsoft Excel®などのスプレッドシートを頻繁に使い、いわゆる企業価値評価モデルを構築していく。これらの企業価値評価モデルは、もちろん巨大かつ複雑であるので、一般のビジネスパーソンからすればきわめて難解であり、人によっては目くらましにしか見えないかもしれない。

 実際には、原因である戦略をインプットとして、結果である企業価値をアウトプットとする、その因果関係の流れを表現している。そして、その因果関係の流れが明らかに構成されているスプレッドシートは、一見して美しくもあるのである(図表16-6「投資銀行や投資ファンドのスプレッドシート思考」を参照)。

図表16-6 投資銀行や投資ファンドのスプレッドシート思考

 企業価値評価モデルのスプレッドシートでは、戦略について、市場規模、販売数量、販売単価、売上原価、販売費、一般管理費などの前提を変化させることによって、原因と結果の変化のシミュレーションまでできる。さらに、投資銀行や投資ファンドの人たちはこのスプレッドシートの骨太なイメージを頭の中に持っているので、その前提を変化させながら「そうだとすると、こうなりますね」と臨機応変に議論を進めることができる。

 このように、ファイナンスの概念や理論は、戦略から企業価値までをつなげて語る共通言語として活用されている。このような共通言語を、ビジネスパーソン、そして企業の経営者が活用しないままでいるのは、もったいない。

 ●ファイナンスは「財務」のためのものと誤解している

 ファイナンスの概念や理論は、財務部門のためのものであって、自分にはあまり関係ない、と捉えられてしまっていることもある。

 これは、ファイナンスという英語が「財務」や「金融」として日本語に翻訳されてきたことによる影響もある。これは、まさに戦犯ともいえる誤訳である。そして、企業には、経理部門と並んで財務部門があるため、ファイナンスが財務部門の行う資金調達と関連して位置づけられている。

 そもそも、ファイナンスは、資金調達のためだけのツールではない。企業においても、CFO(Chief Financial Officer)の役割には、資金調達(financing) と事業管理(controlling)がある。この事業管理において、CFOは「コントローラー」といわれる働きをする。それは、社内における資金調達および資金運用の高度化といえるものであり、経営資源配分の最適化や資金効率の向上などがある。

 たとえば、運転資金のマネジメント、すなわち売掛金・買掛金・在庫などの最適化による「キャッシュ・コンバージョン・サイクル(CCC)」の短縮などは、その典型例である。2019年度において、米国の製造業が平均98.1日であるのに対し、日本の製造業は平均120.5日になっている。また、キャッシュ・コンバージョン・サイクルがマイナスの企業さえあり、Amazonは▲31.8日、Appleは▲60.5日という水準であって、競争力の源泉の一つになっている。

 このキャッシュ・コンバージョン・サイクルの短縮は、キャッシュフローの創出につながり、ビジネスパーソンが理解して実践していくべきものである。そして、これもファイナンスの概念や理論が基礎になっている。

 ファイナンスの分野には、一般的なビジネススクールの科目で見ても、キャッシュフローや現在価値などの基礎的な概念を扱う「ファイナンス概論」、株式市場、債券市場、投資家の行動などを扱う「資本市場論」、株式、債券、デリバティブ等への投資などを扱う「証券投資論」、企業の資金調達、事業投資、企業価値評価などを扱う「コーポレートファイナンス論」、投資家の行動の不合理性などを扱う「行動ファイナンス論」などがある(図表16-7「ファイナンスの分野」を参照)。

図表16-7 ファイナンスの分野

 このうち、コーポレートファイナンス論が、ビジネスパーソンや企業の経営者にとっては、最も使い勝手がよいものである。コーポレートファイナンス論も、企業金融論と翻訳されることがあり、金融と名がつくことから、自分には関係がないものとして遠ざけられがちであっただけである。

 コーポレートファイナンス理論は、企業が投資家から資本を調達して、それを事業に投資し、そして事業を運営してキャッシュフローを生み出し、企業価値を創造していくメカニズムについての理論である。企業の経営者も、本連載で解説している内容くらいは身に付けておくべきといえる。

 ●ファイナンスは「難解な理論」に終始するだけと誤解している

 ファイナンスや企業価値に関心を持った人の中には、それらが現実離れした難解な理論でしかなく日々の実務では使い物にならないと思い込んでしまったり、あるいはおびただしい数式の羅列に困惑してしまったりして、早々に退散したという人も少なくはない。

 たしかに、ファイナンスは経営科学の領域の一つであり、科学であるからには理論的な厳密さが要求される。本連載で一部触れたように、現在価値の複利による計算から始まって、資本資産価格モデル(CAPM)、モジリアーニ・ミラー命題、ディスカウントキャッシュフロー法など、そのままではどれも難解でとっつきにくく、金融機関や企業の財務部門で働いていない限りは、そもそも実務で使うことなどなさそうだ、と思えてしまう。

 そして、これらの計算は、いわゆる卓上電卓ではできず、Microsoft Excel®などのスプレッドシートを使用することになる。そこでの計算には、いろいろなビルト・イン関数を使わなければならないし、セルの絶対参照や相対参照の使い分けなども必要となる。このようなスプレッドシート特有の難しさも加わって、さらに面食らってしまう。その結果、ファイナンスがますます嫌いになってしまうのである。

 数学の定理も、一見すると難解に見え、その導出を計算プロセスとしてだけ試みたり、その結果だけを覚えようとするのは、砂を噛むようで無味乾燥なものである。しかし、そうした数学の定理の根底にある、そもそものアイデアという本質を知れば、面白いように理解が一気に進むし、その定理を自在に使いこなせるようになる。ファイナンスも、まさに同様なのである。

 たとえば、アセットのリスクと期待リターンの関係を表す均衡モデルであるCAPM理論は、完全市場における合理的な期待をもつ経済主体について、効用関数を定めたうえで、その効用の最大化を、市場の均衡という観点を踏まえて導出するものである。そして、この導出プロセスは、微分やラグランジュの未定乗数法(最大値や最小値を数理的に求める最適化という分野における代表的な手法の一つ)による最適化などを使った、複雑で難解なものである。

 一方で、その根底にあるアイデアは、極めてシンプルである。たとえば、いかなる個別企業の株式も、株式市場の総体である市場ポートフォリオと必ず比較できる。そこで、市場ポートフォリオを共通する比較の対象として、それとの関連性の大きさによって、あらゆる個別株式のリスクを表すことができれば便利になる、というものである。

 このアイデアをベースの一つにして構築されたCAPM理論は、もちろんその厳密な導出プロセスは複雑で難解である。しかし、その結論は、個別株式の超過リターンを、市場ポートフォリオの超過リターンのベータβ倍というように単純に表せる。

 このように、ファイナンスの理論の根底にあるアイデアを理解すれば、それらの理論を直感的に理解でき、使い勝手がよいものとして、実務でも使いこなしていけるのである。

投資家であり事業家でもある経営者

 本連載では、お金の流れによって企業経営の全体像を俯瞰して理解すること、そして成長と稼ぐ力を軸とする戦略によって事業から十分なキャッシュフローを生み出して企業価値を創造していくことについて、その考え方とプロセスを説明してきた。

 日本企業では、大企業であるほど、事業部門による組織縦割り経営が強く、そして社長就任がまるで事業部門からの最後の昇進のようになっていることもあって、お金の流れで企業経営の全体像を捉えられないままになっている。また、日々の事業の運営には関心が高いものの、企業価値の創造にまではなかなか目が行き届いていない。

 本連載で説明してきたPL&BS一体型思考によれば、企業は投下資本を使って事業を営み、その事業から利益を生んで、それがキャッシュフローとなって企業価値につながっていく。

 そこで、企業が年度単位で創造している企業価値の金額(税引前)を次のように定義して、東京証券取引所第一部に上場している1,969社(金融・不動産関連の企業は除く)について、2019年度で算出してみた(図表16-8「年間企業価値創造金額(東証一部上場企業、金融・不動産関連を除く1,921社)」を参照)。なお、加重平均資本コストは、一律に5.0%とおいた。

年間企業価値創造金額(税引前)
  =営業利益-投下資本金額(純有利子負債金額+株式時価総額)×加重平均資本コスト(WACC)
  =投下資本金額×(税引前ROIC-WACC)

図表16-8 年間企業価値創造金額
(東証一部上場企業、金融・不動産関連を除く1,921社)

 この結果、1,969社のうち、税引前で企業価値を創造している企業が1,434社(72.8%)、企業価値を毀損している企業が535社(27.2%)であり、年間企業価値創造金額(税引前)の平均値は49.1億円、中央値は11.6億円にとどまった。日本企業における企業価値の創造は、これまでのところ極めて厳しい状況にある。

 いまこそ、PL&BS一体型思考をもって、お金の流れによって経営の全体像を理解しながら、企業であっても本来の投資家から調達した資金を投資して事業を行っているのだという客観的で厳格で冷徹な視点を持つ「投資家である経営者」によって、企業価値の創造を図っていかなければならない。ミッションやビジョンを大切にする経営、あるいはパーパスを大切にする経営にとっても、企業が企業価値を生む経営を行っていることがベースになるのである。

 企業価値を創造するにあたっては、十分なキャッシュフローを生み出していくことがポイントである。そして、成長と稼ぐ力を軸とする戦略こそが、事業からのキャッシュフローを増大させ、企業価値を牽引する。

 日本企業において、日々の事業運営におけるオペレーションの磨き込み等によって稼ぐ力を高めていくことは、もちろん重要である。そのうえで、事業環境の先行きがますます不透明になる中でも、成長を実現していくことこそが重要なのである。強烈な情熱さえ持って、稼ぐ力だけでなく成長も同時に追求していく「事業家である経営者」としても、企業価値の創造を図っていかなければならないのである。

ネクスト・ノーマルの世界へ

 これまで、経済成長は加速度的に進んできた。世界のGDP金額の対数に直線近似がぴったりと当てはまるように、20世紀初めから現在に至るまでの経済成長は、まさに指数関数的に進んできたのである(図表16-9「20世紀以降の世界経済規模」を参照)。

図表16-9 20世紀以降の世界経済規模

 一方、今回のCOVID-19収束後には、特定の国・地域、特定の業種にとどまることなく、「ネクスト・ノーマル(Next Normal)」とも呼ばれる新たな世界が広がっていくであろう。そこでの経済成長のペースは、これまでと比較して鈍化するのか、あるいは加速するのか、いまだ明らかではない。

 ネクスト・ノーマルの世界は多くの不確実性に満ちている。それでも、地球環境問題をはじめとするサステイナビリティを尊重すること、テクノロジーが急速に進展して社会システムや人々の暮らしが大きく変化していくこと、ダイバーシティやインクルージョンがますます大切になること、その一方で、地政学的な要因が複雑化していくこと、そして実体経済を支えるためにマクロ経済政策や金融政策が変化を続けていくこと、などが予想される。企業の経営環境は、これまでになく速く大きく変化することは確実である。

 そのような中で、企業の経営者にはまさに前例のない経営の舵取りの連続が求められる。経営者は、経営の基本に立ち戻って、事業家として成長と稼ぐ力を絶えず徹底して追求しながら、投資家としてお金の流れを意識した企業経営を行い、企業価値を持続的に創造していかなければならない。

 こうした企業価値自体は直接に観測できないため、日本企業の現状を理解するためにも、その代わりに日本を含む世界の主要な株式市場におけるマーケットインデックスの推移を見てみよう(図表16-10「世界の株式市場におけるマーケットインデックスの推移」を参照)。

図表16-10 世界の株式市場におけるマーケットインデックスの推移

 1995年1月時点から2020年12月時点までの25年間で比較すると、アメリカやドイツが6~8倍へと大きく成長しているのに対して、日本は極めて低位の推移を続けている。まさに、投資家であり事業家でもある経営者による経営によって、企業価値を創造する経営が、日本企業には求められている。

 そして、そのような経営は、もちろん短期的な株主資本主義のためではなく、社会の課題や産業の課題を解決しながら、社員の働き甲斐も実現しつつ、長期的で持続的なものとして行われていくべきものなのである。

 社会、経済、産業の構造が大きく変化していき、事業環境がこれまでになく速く大きく変化する時代において、そして有事が平時となって戦略の賞味期間が極めて短くなっていく中で、まさに、お金の流れによって企業経営の全体像を俯瞰して語れる投資家であり、強烈な情熱さえ持って成長と稼ぐ力を軸とする戦略によって企業価値を創造していける事業家でもある経営者が、日本企業には切実に求められている。

戦略としての企業価値 目次

はじめに
第1回 戦略としての企業価値:いまこそ求められる思考とスキル

第Ⅰ部 企業価値のポイントを押さえる
第2回 経営をお金の流れで理解するPL&BS一体型思考
第3回 企業価値評価の基礎知識(1)フリーキャッシュフローと金利・割引
第4回 企業価値評価の基礎知識(2)DCF法とマルチプル法
第5回 企業価値の源泉は「成長」と「稼ぐ力」である

第Ⅱ部 企業価値を戦略に落とし込む
第6回 企業価値を生み出す戦略の全体構造
第7回 「成長」と「稼ぐ力」を追求する戦略をいかに策定するか
第8回 メガトレンドに乗って持続的に成長する
第9回 事業ポートフォリオを再構築する
第10回 M&Aと事業売却をどのように活用すべきか
第11回 ROICの視点で稼ぐ力を高める
第12回 機能スキルによって稼ぐ力を高める
第13回 デジタルとアナリティクスで稼ぐ力を高める

第Ⅲ部 企業価値と戦略を自己検診しながら進んでいく
第14回 セルフ・デューデリジェンスによる自己検診と経営改革
第15回 企業価値と戦略の効果的なコミュニケーション

補論
第16回 企業価値創造経営の実現に向けて乗り越えるべき3つの課題

注:本連載における個別企業についての記載は、すべて公表されている情報のみに基づくものである。それらの記載は、当該企業の経営について何らかの評価を行おうとするものでもない。本連載における企業価値の算出などは、あくまで簡易な例示であって、その正確性を保証するものではなく、何らかの投資や売買などを推奨するものでもない。本連載における見解は、すべて筆者個人のものであり、筆者が所属あるいは関係する企業や機関や学校の見解や意見ではない。