当時、新聞をはじめとする伝統的な印刷・放送メディアの市場では、グーグルやフェイスブック(メタ・プラットフォームズ)などのデジタルジャイアントが台頭し、顧客だけでなく広告主もデジタルサービスへといっきに移行した。2006年8月の『エコノミスト』の特集「誰が新聞を殺したのか」は、その頃の社会の空気感を象徴している。

 そのような状況で、同グループのCEO(当時)であり、現在は会長を務めるクリスチャン・ヴァン・ティロは、自社で上から10人の管理職と編集者を集めてオフサイトミーティングを開催し、会社の新たな戦略を練ることにした。

 ヴァン・ティロによれば、戦略の出発点は自社がどのような事業を展開するか、あるいはこれから展開すべきかを決めることだという。この考え方は、IMDのデレク・エーベル教授(当時)が40年以上前に提唱したものでもある。DPGメディアにとって、自分たちがプロフェッショナルジャーナリズムを実践し続けるか、それとも完全に撤退するかを決めることは不可欠だった。

 ヴァン・ティロによれば、それは「質の高いプロフェッショナルジャーナリズムに未来はあるか」という問いに答えることを意味していた。「デジタル時代に、人々は『プロフェッショナル』メディアから情報や娯楽、刺激を得たいと考えるのか。そうではなく、メディア市場は市民ジャーナリズムやブログ、インフルエンサーが中心の市場へと移行するのか」

 DPGメディアは、この問いに肯定的な答えを導き出したことで、多くの競合のように市場から撤退するのではなく、プロフェッショナルジャーナリズムに経営資源を投下し、デジタル時代の到来に向けて会社を立て直すという道を迷わずに歩むことができた。

 この決断は同社の歴史の中で最も重要なものであったと、ヴァン・ティロは語った。当時としては、壮大なギャンブルを行うようなものだった。以来、DPGメディアという会社が何のために存在し、従業員が日々目にしているような戦略的決断をなぜ下しているかについて説明する際、ヴァン・ティロはこの時の決断を出発点として伝えている。

 プロフェッショナルジャーナリズムに注力するという決断が下されたことで、「デジタル時代にプロフェッショナルジャーナリズムが成功するために何が必要か」という問いが浮上した。その答えは「規模が極めて重要になる」だった。

 ヴァン・ティロは言う。「それまでの競合はローカル企業なので、規模が問題とされたことはなかった。だが、突如として、グーグルやフェイスブックと競争する必要が生じた。そこで、我々も規模を拡大して、グーグルやフェイスブックのように広告主や顧客の頭に浮かんでくる存在になる必要があった。つまり、取引先としてまずグーグルとフェイスブック、その次に我々のことを考えてもらえるような、誰もが認めるローカルマルチメディア企業になることが必要とされたのだ」