宍倉 顧客体験をトレースし、体験価値を高めていくには自社の製品・サービスから取得できるデータだけでは限界があります。たとえば、映像コンテンツのストリーミングサービスにしても、いつ何を見たかはわかりますが、何に興味があってそのコンテンツを選んだのかという因果関係まではわかりません。

 プライバシー保護とのバランスに十分配慮することが前提ですが、自社と自社以外の顧客体験をどうつないでいくか、データによっていかに体験価値を共創していくかが、サイバー文明におけるビジネスモデル構築の一つのカギではないでしょうか。

國領 それに関しては2つの論点があると思います。1点目は、個人の行動履歴を企業が収集し、ビジネスに利用することが社会にどこまで受け入れられるかという問題。『監視資本主義』の著者であるショシャナ・ズボフ(ハーバード・ビジネス・スクール名誉教授)は、利用者の好みを徹底的に分析して、顧客のニーズに合わせようとしているうちはまだよかったが、いま時のプラットフォーマーは利用者を心理操作していると指摘しています。そして、それを野放しにはできない。法律でしっかり規制する必要があると言っています。

 EU(欧州連合)が2018年の「一般データ保護規則」(GDPR)に加えて、2022年に入ってから「デジタル市場法」と「デジタルサービス法」の制定で合意したのはその流れで、独占禁止法や基本的人権の発想に基づいてプラットフォーマーの自由な動きを抑えようというものです。

 私は、自由放任でもなく、法律によってがんじがらめにするのでもない、第3の道がいいと思っています。忠実義務を重視するやり方です。医者や弁護士などが患者や依頼者の情報を、患者や依頼者のためだけに使う義務を負うのと同様に、企業が預かった個人データは、データ主体である個人の利益に沿って運用する義務を課すという考え方です。その考え方に基づいて、企業を監視する仕組みをつくるのです。

 もう一つの論点は、いかにユーザーのイニシアティブでデータ連携できるようにするか。具体例を挙げて説明すると、2022年10月に前橋市と市内に拠点を置く8事業者が出資する「めぶくグラウンド」(*2)という会社が設立されました。マイナンバーを活用したデジタル個人認証「めぶくID」の発行とデータ連携基盤の運用を担う会社です。めぶくIDを基点にさまざまな自治体や企業が持つデータとサービスを連携させて、市民一人ひとりに最適化された公共サービス、民間サービスを提供することを目的にしています。

 たとえば、いまやろうとしていることの一つが、アレルギーを持つ人が安心して口にできる食品を簡単に検索したり、購入したりできる情報を提供することです。アレルゲンのない食品をつくっているメーカー、取り扱っている流通業者はたくさんありますから、そういう業者とアレルギー体質の人をマッチングしてあげて、成功報酬をいただく。このビジネスモデルは十分ありうると思っています。

 つまり、広告スポンサーのために識別子を使ってビッグデータを蓄積・活用するという発想ではなく、利用者主権を守り、データ主体の利便性のためにデータを連携させる。その原則を貫けば、個人が納得のうえでデータを提供してくれる環境が整うのではないでしょうか。

新たな統治機構としての「データガバナンス委員会」の可能性

宍倉 1つ目の論点に関しては、コンサルタントや会計士などの集団である我々プロフェッショナルファームにも忠実義務があり、クライアントの情報をしっかりと守るためのルールやガバナンス体制を構築しています。

 一方、個人情報を中心に取り扱う企業が、興味・関心がありそうな商品をリコメンドしたり、広告を表示したりするのはデータ提供者の利便性のためという側面があり、それを善意でやっている場合でも法律で一律に取り締まるのは、かえってユーザーの利益に反するかもしれない。

 そう考えると、忠実義務に基づくガバナンス体制の構築という考え方は、とても現実的だと思えます。そのガバナンス体制には、ユーザーとの対話も組み込んで、個人情報を適切に管理し、ユーザーのために活用しているという信頼関係を醸成する必要があります。

國領 先ほど紹介した、めぶくグラウンドという会社では、データ提供者の意思と利益を守る「データガバナンス委員会」を定款に規定する形で設置しています。私はその委員長を務めていますが、会社法に基づく監査委員会と同じレベルの委員会であり、個人や行政、企業・団体など幅広いデータ提供者の利益を優先させるデータ運用を会社に徹底させる、そのガバナンスを利かせるための委員会です。技術的にはアクセスログの管理がポイントになると考えています。