
「選ばなかった道」に
多くの人が思いを馳せている
人は誰もがいくつもの選択を重ねて、現在のキャリアを築いている。しかし、それが正しい決断だったとわかっていても、自分が選ばなかったポジションや道に思い焦がれることがある。このように「自分が選ばなかった道」に対する思いは、実際の仕事にどのような影響を与えるのか。また、自分が選んだキャリアについて葛藤を抱いている人を助けるために、従業員やマネジャー、そして組織には何ができるのか。
こうした疑問を解決するため、筆者はノートルダム大学教授のジェイソン・コルキット、そしてジョージア大学助教授のエリン C. ロングと、米国のさまざまな職業と職層の労働者300人以上とその同僚を対象にアンケート調査を行った。
具体的には、現在の仕事にどのくらい満足しているか、どれほどの頻度で自分が選ばなかった道のことを考えるか、そして自分の人生のキャリアパスについて自分にどの程度決定権があると思うかを尋ねた。そのうえで、同僚たちに、彼らがどの程度の頻度で、協力的な勤務態度を取っているか、あるいは遅刻や仲間のじゃまをするなど仕事に支障を来す行動を取っているかを聞いた。
その結果、多くの労働者が選択から何年経った後でも「あの時、別の道を選んでいたら」とかなりの間、思い悩んでいることがわかった。実際、本調査の参加者のうち、別の選択をしていたらと考えたことがない、あるいはほとんどないと答えた人はわずか6%で、21%がこうしたことについて頻繁に、またはほぼ常に考えていると答えた。
獣医になっていたかもしれないソーシャルワーカーもいれば、画家になれたかもしれない建築家、法律家になることを考えていた教師もいた。ある調査参加者は、科学者になろうと思っていたが、博士課程で指導教官に嫌な思いをさせられたことがあっため、金融業界に進んだ。彼は現在の仕事に満足していたが、科学者になっていたら大きな充実感を得ていたのではないかとよく考えると語っていた。
「もし生化学か遺伝学の博士号を取得していたら、どうなっていただろうとよく考えます。私は生まれつき科学的な探究が大好きで、この分野で飛び抜けて優秀でした。もし私が遺伝子工学者になっていたら、科学の発展の最前線に立ち、全人類を変えていたかもしれません。金銭的な成功は得られなかったかもしれませんが、仕事の『可能性』にもっと満たされていたのではないでしょうか」
実際に取ったキャリア上の選択が、経済的な安定を優先した結果か、充足感や別の理由を優先した結果かにかかわらず、調査対象者のほぼ全員が、別の道を選んでいたらどうなっていただろうと、少なくとも一定の諦め切れない気持ちを抱いていた。また、このように選ばなかった仕事に馳せる思いは、現在の仕事に打ち込んだり、しっかりとこなしたりすることを妨げている場合が多いとわかった。
本人の自己評価と同僚たちの意見の両方で、過去から抜け出せずにいる人たちは、仕事中に気が散ったり、空想にふけったりすることが多く、休憩や休日を頻繁に取り、同僚とあまり交流せず、転職活動する可能性が高かった。ただ、彼らは絶望や後悔にさいなまれているわけではない。むしろ多くの調査参加者は、現在の人生に満足していると答えた。それでも、別の道とりわけ自分のアイデンティティやパーパスにもっと一致していた可能性のある道を選ばなかったことへの思いは拭い去れない。
このような「隣の芝は青く見える」現象は、近年の「選択肢が多すぎる」状況によって悪化している。リモートワークの普及と、オンライン応募の拡大で、働く場所の制約が小さくなった結果、理論上、手が届く仕事の数は激増した。もちろん、アクセスできる仕事が増えるのは、よいことだ。だが、選択肢が多すぎると、実際に選んだ仕事に対する覚悟が薄れてしまうことがある。このFOMO(何かよいことを逃してしまったのではないかという不安)効果は、ソーシャルメディアで、自分が選ばなかったキャリアや場所、ライフスタイルを常に見せつけられることで悪化する一方だ。
幸い、筆者らの研究では、「もしあの仕事を選んでいたら、どうなっただろう」という思いをいつまでも抱き続ける必要はないことがわかった。今回の調査研究に参加した労働者たちが、過去に過度にこだわることなく、反芻や不満を解消し、未来に目を向けられるようにする2つの重要な戦略を見つけた。以下では、それを紹介しよう。