インビザライン:新しいレンズを通して見る

 1990年代初頭まで、数十年間ほとんど変化がなかったのが歯列矯正装置である。歯科業界内における漸進的な改良はあったものの、大きな革新は起きなかった。MBAを取得するためにスタンフォード大学のビジネススクールで学んでいたケルシー・ワースとジア・チシュティは、歯科に関する資格を何も持っていなかったが、歯科矯正にそれまでと違う新たなレンズを当てた。

 チシュティが初めて歯の矯正をする経済的な余裕を得たのは、彼がビジネススクールに入学する少し前、つまり大人になってからだった。彼は、ワイヤー型の矯正器具がようやく外せるようになった時に、面白いことに気づいた。それは、治療後に歯列を保つためにマウスピースを一定期間装着したところ、歯が動いたことだった。数日間、装着するのを忘れるとその動きを実感できた。ほとんど目に見えない装置から得た小さな気づきから、画期的な仮説がひらめいた。「プラスチック製のシンプルなマウスピースで歯を少し動かすことができるのであれば、この技術を改良することで、従来の金属製の歯列矯正ほど目立たずに、歯を大きく動かすことができるのではないか」と。

 チシュティとワースが医師らに提案したのは、ソフトウェアで設計されたデジタル治療計画によってカスタムメイドする、プラスチック製の透明で取り外し可能な矯正用マウスピースだった。この治療法を「インビザライン」と呼び、器具が他人から気づかれにくいことを強調した。数週間ごとに器具を替えることで、ワイヤーを使うことなく、歯を徐々に希望の位置に動かすのである。

 歯列矯正という問題を、このような「新規顧客」「技術寄り」のレンズを通して見ることで、チシュティとワースは、矯正治療の痛みや恥ずかしさを減らし、また手軽に行えるものにした。彼らのアライン・テクノロジーは歯科矯正に変革をもたらし、現在の時価総額は150億ドルを超えている。

スペースX:絶え間なく実験を繰り返す

 ソフトウェア会社がA/Bテストを使って製品を改良することはよく知られている。しかし、究極の重工業で、そのアプローチは戦略的に成功するのだろうか。スペースXは、わずか20年の間に、絶え間ない実験によって地球近傍の宇宙旅行を大きく変えた。

 スペースXのエンジニアは、仮説と検証の繰り返しで、小さな動きも積み重なれば大きな改善につながることを学んだ。この迅速なテストと改善のアプローチによって、リーズナブルに新しい情報を得られ、経験曲線を一早く下降させることができたのだ。彼らは自社の意思決定システムを「飛行、試験、失敗、修正」と呼ぶ。中でも失敗を「予定外の分解」ととらえ、それが「可能性の限界」を知るために必要なことだと受け入れている。

 また、彼らはロケット部品の3Dプリンティングによってコストを抑えることに成功したパイオニアである。再利用可能な部品を増やし、高価な外部委託から脱却し、部品の80%を社内で生産している。

 コストカーブを下げるには、打ち上げ回数を大幅に増やす必要があった。NASAは、スペースシャトル計画の30年間、年平均4.5回の打ち上げを行った。一方、スペースXは2021年、前年の26機から31機へとロケットを増加して軌道に打ち上げた。2022年初頭には、月に3~5回のミッションをこなした。

 打ち上げ回数の増加やその他の技術革新により、1キログラムの質量を宇宙に運ぶコストが劇的に削減された。1970年代から2000年代初頭まで、このコストはほとんど変わっておらず、1キロ当たり平均5万4550ドルだった。それをスペースXが95%減となる2720ドルまで下げた。

TNCフィッシュフェイス:集合知の活用

 ザ・ネイチャー・コンサーバンシー(TNC)は、絶滅の危機に瀕した水産資源の保護を目的とした世界的な自然保護団体で、漁船が海上で実践できる自然保護対策を模索していた。そこで、漁船にデジタル技術を導入して絶滅危惧種を識別し、生きたまま海に戻すことができないかと考えた。

 しかし、TNCには開発に必要なAIスキルがなかったため、機械学習コンテストを主催するオンラインプラットフォーム、カグル(Kaggle)のコンペを通じて解決案をクラウドソーシングすることにした。賞金15万ドルのこのコンペに、5カ月間で2293件の応募があった。TNCは優勝案を選出した後、プロトタイプをつくった。その名をフィッシュフェイスと呼び、現在90%から95%の精度で動作している。

 TNCは、漁業規制の遵守という複雑な問題を解決するために、組織の能力の外に助けを求め、斬新な戦略的解決を得るために、世界最高のAI開発者に声をかけたのだ。

 このアプローチの一種であるスワームAI(群知能)は、不確実な事象の予測に特に有用である。スタンフォード大学医学部の研究によると、スワームAIアルゴリズムを使用した医師のグループは、過去のデータのみを使用した最先端のディープラーニング・アルゴリズムよりも、診断の精度が22%高かったという。その違いは、参加者がリアルタイムで「一緒に考え」、アルゴリズムで制御されたインタラクションを通じて解決策を導き出す点にある。

クイビ対ティックトック:軸足を中に置くか外に置くか

 これらの例のいずれにおいても、画期的な戦略的アイデアにつながった戦略的知見のかなりの部分は、既存業界から外側に軸足を置くという発想から得られている。それを首尾よく行うのは簡単ではない。クイビの例を見てみよう。

 クイビは、短編動画配信プラットフォームとして2020年4月に大々的に立ち上げられた。だが、同年12月1日までに10億ドル以上の損失を出して解散した。投資家には、アリババ、ディズニー、グーグル、ゴールドマン・サックスなど有名企業が名を連ねた。経営陣も豪華で、イーベイとヒューレット・パッカードの元CEO、メグ・ホイットマンと、ドリームワークスのジェフリー・カッツェンバーグだった。出資者たちは「このインサイダーチームであれば市場が何を求めているかを知っている」と確信した。

 クイビのアプリが2020年第2四半期に450万回ダウンロードされたのに対して、その有料会員数は2020年第3四半期までに71万人にとどまった。無料トライアルが終了した初期ユーザーの90%を失っていたのだ。クイビは、旧来のハリウッドモデル型(高品質・高コスト型)に軸足を置いたために失敗した。ちょうどティックトックが3億1500万ダウンロード(2020年第1四半期)を記録し、爆発的に成長していた時期だった。

 その違いは何だったのか。ティックトックは、ユーザーが提供したコンテンツを高性能なAIがキュレーションすることで、ユーザーの集合知を取り入れていたのである。

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 アマゾンの消費者向け金融サービスへの段階的参入や、上記の他の事例を振り返ると、どれも熟達した戦略家の仕事のようだが、現実はそうではない。それぞれの地位を支える能力や資産の構築の影には、数多くの小さな動きがあり、その過程には失策や失敗があった。

 アジャイルな組織は、新たな分野への道筋を明確に描き出し、経験とともにモデルを更新していく。彼らは、地位を築くために行う「コストを抑えた後戻りできる戦略的な動き」と、「大博打を打つこと」との違いを理解しているのだ。


"In Uncertain Times, Embrace Imperfectionism," HBR.org, July 10, 2023.