しがらみを断ち切り
成功させたコスト削減

編集部(以下色文字):志賀さんは、日産自動車でカルロス・ゴーン氏(元日産自動車会長)の下、1999年10月に発表した日産リバイバルプラン(NRP)を実行し、大幅なコスト削減を実現しました。しかし経営危機に陥っていた1997年から98年頃、ルノーをはじめとした外資との資本提携と同時に、日産の社内で検討されていた自力再建プランでは、コスト削減に十分に踏み込めていなかったそうですね[注]。何がコスト削減を阻んでいたのでしょうか。

志賀(以下略):私は1976年に日産自動車に入社し、1991年からはジャカルタに駐在していました。紆余曲折ありながら現地で工場を立ち上げて、日本に戻ったのは1997年のことです。当時の日産は、まさに火の車でした。

 インドネシアでの実績を認められて、全社の利益を考える企画室に異動し、1998年から3年間の中期経営計画(中計)を立案することになりますが、何度シミュレーションしても利益が出ません。すでに、工場を含めた固定費削減を断行していたものの、負債金利の支払いや強烈な円高などで赤字になり、中計がつくれませんでした。