2025年5月6日、ハーバード大学名誉教授であり、元米国国防次官補のジョセフ S. ナイ・ジュニア氏が88歳で逝去した。カーター政権およびクリントン政権下で政府の要職を歴任したナイ氏は、1990年代に国家が行使するパワー(権力)として、軍事力や経済制裁などの手段を講じる「ハード・パワー」だけでなく、文化や価値観、外交によって他国を味方につける「ソフト・パワー」という概念を提唱。さらに、これらを組み合わせた「スマート・パワー」によって多極化する国際秩序に対応すべきだと主張した。
最近は、「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプ政権によるソフト・パワーの低下と、それに伴う世界の不安定化について懸念を示していたとされる。ナイ氏を追悼し、2009年に「ハーバード・ビジネス・レビュー」に掲載されたナイ氏のインタビューをあらためて紹介する。当時はオバマ政権発足直前であり、米国がスマート・パワーを的確に活用できなければ、中東問題やアジアの外交対応など混迷する国際社会において主導的役割を果たすことが困難であることや新時代への展望を語っている。読み返してみると、米国に限らず現代の各国にとっても、また交渉や意思決定を日々迫られている企業にとっても示唆的である。

偉大なリーダーは2つのパワーを使い分ける

 イタリア・ルネサンス期の政治思想家、ニッコロ・マキャベリは『君主論』のなかで次のように記した。

「君主は、たとえ愛されなくてもよいが、人から恨みを受けることなく、しかも、恐れられる存在でなければならない」

 世界平和、グローバル経済、環境問題など、きわめて複雑な政治的課題が山積しており、しかも多極化がいっそう進むなか、アメリカの次期政権が発足しようとしている。このような現状においては、冒頭に引いたマキャベリの言葉がことさら重要性を帯びるように思える。

 アメリカの強大な軍事力と経済力を行使するだけでは、平和と繁栄はもたらされない。アメリカ合衆国の大統領は、民主主義と資本主義の理想をより魅力的なものにする必要がある。さらに、アメリカがこれらの理想を体現していることを世界に示さなければならない。

 ハーバード大学ジョン F. ケネディ行政大学院教授のジョセフ S. ナイ・ジュニアによると、それにはアメリカの対外的強制力と「ソフト・パワー」──これは、彼が『不滅の大国アメリカ[注1]』のなかで用いた造語である──をいかに組み合わせるべきかについて熟知する必要があるという。

 彼はカーター政権とクリントン政権で、国務次官補佐、国家情報会議議長、国際安全保障担当国防次官補などを歴任した。また著作も多く、最新刊[注2]のなかでは、次期アメリカ政権が直面する最大の課題は、今日の軍事的および政治的問題の先を見据えたアクション・プランを提示する必要性を訴えている。

 HBRシニア・エディターのダイアン L. クーツによるインタビューのなかで、彼はあらためてソフト・パワーについて語り、ハード・パワーとの違いを説く。そして、偉大なリーダーたちは、これら2つのパワーを組み合わせて「スマート・パワー」を実践する術を熟知し、その実践から信頼を生み出し、前向きな行動計画に向けて人々を結集させると言う。

 次期アメリカ大統領がこのようなスマート・パワーを発揮できれば、アメリカは21世紀でも引き続き、世界の舞台で中心的役割を果たすと見られる。

ソフト・パワーとハード・パワーを組み合わせた
スマート・パワーの技術

HBR(以下色文字):ソフト・パワー、そしてハード・パワーとは何でしょうか。どうすれば、これらのパワーを組み合わせることができるでしょうか。

ナイ(以下略):本質的に、パワーとはほしいものを手に入れるために、他者に影響を及ぼす能力を意味しているにすぎませんが、これには一連の手段が必要です。威圧や報復といったハード・パワーを行使する手段もあれば、魅力といったソフト・パワーを使う方法もあります。

 個人のレベルでは、カリスマ性(感情に訴える魅力)、ビジョン、コミュニケーションなどがソフト・パワーといえます。また国のレベルでは、ソフト・パワーはその国の文化、価値観、政策のなかで具現化されます。

 ソフト・パワーだけを用いて素晴らしいリーダーとなった人物というと、ほかにもいるのかもしれませんが、ダライ・ラマ以外にはなかなか思いつきません。

 我々はハード・パワーについてしきりに話題にする一方、魅力というものが、きわめて強力な手段であることを忘れがちです。ですが、魅力というソフト・パワーをなおざりにすることは間違っています。

 中東の危機を見るにつけ、ハード・パワーだけでは問題を解決できないという認識が一般化しつつあります。これを裏返せば、人々がソフト・パワーの必要性に気づき始めているともいえます。

 もちろん、ハード・パワーとソフト・パワーをうまく併用できるか否かは、その状況に関する理解度によります。私が「コンテクスチュアル・インテリジェンス[注3]」と呼んでいる、状況を把握する知性の大部分は経験に由来します。

 しかし、経験がすべてというわけではありません。マーク・トウェインが言ったように、熱いストーブの上に座ってしまったネコは、二度と熱いストーブには座りません。それだけではなく、冷たいストーブの上にも座らないはずです。パワーの手段を賢く使い分けるには、経験ばかりでなく分析力も必要なのです。