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すべての産業に共通する「経営者企業」の論理
1881年、ジョン D. ロックフェラーは、スタンダード・オイルとその提携企業39社を合併してスタンダード・オイル・トラストを結成した。しかし、彼の狙いは独占にあったわけではなかった。
トラスト内の各企業は持ちつ持たれつの関係であり、当時アメリカで生産される灯油の90%近くを支配していた。ロックフェラーの目的はコスト優位を確立することであり、それは各社の製油所を中央集権的に管理することで実現できるものだった。
スタンダード・オイルの経営陣は全世界の生産量のおよそ4分の1に相当する原油を、1日6000バレル(約95万4000リットル)の生産能力を有する製油所3カ所に集中させた。1ガロン(約3.8リットル)当たりのコストは、1879年では2.5セントだったが、このように「規模の経済」(単位当たり固定費を低下させる)を働かせたことによって、84年には0.5セント、85年には0.4セントにまで下がった。
コストが5分の1になったことで、ロシア産原油からつくられるヨーロッパの灯油や東南アジア産原油からつくられる中国の灯油よりも低価格で販売できるようになり、少なくともオイル・メジャー3社分に相当する利益を実現した。スタンダード・オイルを継承したエクソン(現エクソン・モービル)は、今日、アメリカ最大の石油会社である[注1]。
同じ頃、ドイツでは、バイエル、BASF、それにヘキストが──いずれも世界最古にして、いまなお最大級の化学メーカーである──「範囲の経済」(単位当たり変動費を低下させる)を働かせることで製造コストを低減し、染料や医薬品の低価格化を進めていた。紡績、織物、皮革製品などで使用される人工紅色染料のアリザリンはその典型である。
ドイツ企業が染料の生産を開始した時、その価格は1キログラム当たり200マルク近かった。1878年までに、1キログラム当たりの価格は23マルクに低下し、86年までには、さらに低下して、9マルクまでになった。80年末までには、ドイツの大工場では500種類以上もの染料や医薬品を、比較的小規模なライバルよりもはるかに低いコストで生産していた。
20世紀の経済成長に最も重要な役割を果たしてきた産業を見ると、同様のストーリーが見て取れる。1880年代や90年代の化学や電機、1920年代の自動車、あるいは今日のコンピュータのいずれにおいても、同じパターンが繰り返されてきている。
これらの産業で支配的な立場にある企業では、その創業者や経営陣が、現代の産業資本主義を推進する成長と競争のダイナミズム、すなわち筆者の言うところの「経営者企業」(managerial enterprise)の論理を理解しているといえる。
第1次世界大戦前のヨーロッパにおいてドイツが最強の工業国となったのも、アメリカが20年代から60年代にかけて世界一生産性の高い国になったのも、またそれ以降において日本が大成功を収めたのもすべて、起業家と経営者がこの論理に従って行動した結果である。
これとは正反対に、アメリカが半導体、工作機械、エレクトロニクス消費財といった重要産業において競争力を失ったのは、この論理を無視したこと、すなわちその基本原理から逸脱したからにほかならない。