NECとGTEの盛衰を分けたもの

 グローバルな競争で圧倒的な勝利を収めるには、どのような手段を取れば最も効果的なのか。多くの企業にとって、その答えはいまだに見えていない。

 1980年代のトップ・エグゼクティブたちは、いかにリストラクチャリングを実施し、事業の統廃合を進め、組織階層の簡素化を図ったかにより、その能力を評価された。90年代には、企業の成長を可能にする「コア・コンピタンス」を特定し、それらを育て上げ、開拓していく能力に基づいて評価されることになる。現実問題として、企業の概念そのものを考え直さなければならなくなるだろう。

 過去10年間のGTE(98年にベル・アトランティックと合併して、現在はベライゾン・コミュニケーションズ)と日本電気(NEC)を例に考えてみよう。

 80年代初め、シルバニア・エレクトリック・プロダクツとゼネラル・テレホンとが59年に合併して誕生したGTEは、成長のさなかにあるIT産業のメイン・プレーヤーになりうる絶好のポジションにあった。事実、通信分野で積極的に事業展開していた。

 また、電話機、伝送・交換システム、デジタルPABX(自動式構内交換設備)、半導体、パケット交換、人工衛星、防衛システム、照明製品など、その事業は多角化しており、さらに〈シルバニア〉ブランドのテレビを生産していたGTEエンタテインメント・プロダクト・グループは、ディスプレー技術でも一定の地位を獲得していた。

 80年当時、GTEの売上高は99億8000万ドル、純利益は17億3000万ドルに達していた。対照的に、NECの売上高は38億ドルとGTEに比べてはるかに小さかった。NECにもGTEに匹敵する技術基盤があり、コンピュータ事業も展開していたが、通信会社としての経験はなかった。

 では、88年時点における両社の業績を比較してみよう。GTEの売上高164億6000万ドルに対して、NECのそれは218億9000万ドルと逆転している。GTEの防衛システムと照明機器の2事業はある程度のポジションを維持していたが、その実体はほぼ電話会社だった。それ以外の事業も、世界的に見れば、その規模は小さい。

 GTEはテレビ事業とテレネット事業を売却し(現オスラム・シルバニア)、伝送・交換システムとデジタルPABXは合弁会社に移し、半導体事業からは撤退してしまった。その結果、GTEの世界的な地位は徐々に低下していったのである。実際、80年から88年までの間に、総売上高に占める対外売上高の割合は20%から15%に落ち込んでいる。

 一方のNECは、半導体分野における世界的なリーダーとして台頭し、通信分野とコンピュータ分野でも一流企業としてその名を連ねる。また、メインフレーム・コンピュータでも確固たる地位を築いている。

 そのほか、公共向け伝送・交換事業を拡大し、通信とOA化の両方を橋渡しする製品、すなわち、携帯電話、ファクシミリ、ラップトップ・コンピュータにも手を広げてきた。現在、通信、半導体、メインフレームの分野すべてにおいて、売上高で世界の五指に入る企業はNECだけである。