従業員の離職率増加につながる「退屈感」を見過ごすな
Iuliia Bondar/Getty Images
サマリー:誰もが仕事中に退屈を感じるものである。しかし、新たな研究によれば、退屈の中でも「実存的な退屈」と呼ばれるタイプは、単調な作業や退屈な会議によって生じる退屈よりも、従業員の離職率の上昇やエンゲージメント... もっと見るの低下につながりやすいことが判明した。本稿では、実存的な退屈の兆候と、それに対してマネジャーがチームでどのように対処すべきかを明らかにする。 閉じる

見過ごすと危険な「実存的な退屈」

 率直に言えば、仕事が退屈だと感じたことがない人などいない。もしかすると、いままさに退屈を感じながら、このサイトをスクロールしてひと息ついている人もいるかもしれない。退屈を感じるのは、ごく普通のことだ。組織のCEOであれ新入社員であれ立場に関係なく、誰もがときどき退屈を感じるものである。しかし見過ごせないのは、退屈がけっして無害ではない、という点だ。退屈を放置すれば、モチベーションが低下し、生産性が落ち、最終的には業績にも悪影響を及ぼしかねない。マネジャーにとって、職場の退屈感を理解し対処することは、「やったほうがよい」程度のことではない。チームのエンゲージメントを維持し、組織を成長させるために不可欠である。

 職場で退屈を感じるのは一般的だが、筆者の研究によれば、それが反復的な作業や退屈な会議に起因するのではなく、「いったいここで何をしているのか」と従業員が自問するような、より深い目的意識の欠如に根ざしている場合、退屈は深刻な問題となることが明らかになった。状況的な退屈とは異なり、こうした「実存的な退屈」(existential boredom)は、近年ますます顕著になっている。それは、労働者の間で燃え尽き症候群が広がる中、彼らが「なぜこんなに懸命に働いているのか」と自問するようになっているためである。答えが得られなければ、実存的な退屈は定着し、いま広がりを見せている「静かな退職」(クワイエット・クイッティング)すなわち最低限の仕事以外はしない最近のトレンドに拍車をかけるおそれがある。

 最近、米経営学会誌(AMJ)に掲載された筆者の新たな研究では、マネジャーが実存的な退屈に気づき、それに対処し、さらにはそれを活用するための新たな視点を提示している。筆者は、複数年にわたる研究を通じて、国連平和維持部隊の隊員63人が経験した職場での退屈を分析した。具体的には、彼らの日記を分析し、インタビューを実施し、実際の業務の様子を観察した。彼らは、一般的な従業員と比べて極めて過酷な条件下で勤務しているが、自身および組織が掲げる崇高な目標にもかかわらず、その業務時間の90%を退屈だと感じていると報告していた。このような特性から彼らは、エンゲージメントを維持するために成功した従業員が用いている戦略や、一部の従業員が職を離れるに至る落とし穴を理解するうえで、非常に有益な研究対象である。

従業員は退屈にどう対処しているか

 筆者の分析では、実存的な退屈を最もうまく克服した従業員は、まず、それを認めていた。遠大な目標(平和の確立など)は、日々の現実と比べて抽象的と感じられることを認識していた。だが、彼らはこの事実を認めるだけでなく、自分の期待を位置づけ直し、より短期的で達成可能な目標に積極的に焦点を移した。多くの従業員は、新たなプロジェクトに取り組んだ。たとえば、地域のパートナーと協力して学用品を配布したり、移動裁判所を設置したりする取り組みである。つまり、それらのプロジェクトは平和の確保という大きな目標に貢献しつつも、より短期的で範囲が明確な業務に集中することを可能にするものであった。

 これに対して、実存的な退屈を克服するのに最も苦労したのは、退屈であることを認めるのを拒否し、最終目標に固執し続けた人物であった。彼らは退屈を一種の失敗と捉え、日常の現実に即して自身の期待を調整しようとはしなかった。このアプローチはしばしば裏目に出て、理想と現実の業務とのギャップを広げ、結果としてフラストレーションや職務への無関心、そして最終的には離職の増加につながった。本研究は参加者数が限られていたものの、実存的な退屈の捉え方を再構成した平和維持部隊の隊員は、期待を調整しなかった隊員に比べて、次のミッションに参加する可能性が2倍以上高かった。

従業員の実存的な退屈に気づく方法

 従業員が実存的な退屈を感じているかどうかをマネジャーが見抜くのは難しいかもしれないが、筆者の研究によれば、通常の退屈を超えた状態にあることを示す兆候はいくつか存在する。実存的な退屈の症状としては、次のようなものがある。

感情的な離脱と無関心:感情の起伏が乏しく、反応が薄く、成功や困難のいずれにも無関心に見える。かつて熱意を持って取り組んでいたプロジェクトにも関心を示さない。称賛やフィードバックへの反応も、わざとらしかったり、無関心であったりする。