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先を見越した主体的な行動は、大きな負荷になる
あなたが営業担当者だとしよう。見込み客はいつも打ち合わせ後に何度も連絡してきて、多かれ少なかれ同じような質問をしてくることに気づく。そして、それがしばしば契約締結の遅れにつながっている。ある朝、あなたは時間をかけてこのプロセスを改善する方法を考え、さまざまな解決策を想像した後、契約書を送る直前に見込み客に提供するFAQ(よくある質問)リストを作成することにした。
そのようなプロアクティブ(先を見越して主体的)に行動した日の終わりに、重要な会議に向かうが、意識を集中させることが難しくなっていると気づく。注意力が散漫になり始め、重要な詳細を見落とし、質問に対する簡潔な答えを考えることがふだんより難しく感じられる。
つまり、プロアクティブであることの認知的負荷があなたに生じているのかもしれない。
筆者らの新たな研究で、(ただ仕事をするのではなく)仕事を改善する方法を探求するために労力を費やすほど、特別プロアクティブでなかった日に比べて、その日の終わりに認知能力が低下することが明らかになった。言い換えれば、いっそうの努力をすることは精神的な負荷が大きい可能性があるのだ。
では、プロアクティブであるべきではないのだろうか。あるいは、チームにプロアクティブであるよう奨励すべきではないのか。タスクを改善するためのよりよい方法やタイミングはあるのだろうか。筆者らの研究は、プロアクティビティの利点を活用するには、まずはルーチンを逸脱することがどれほどの負担になるのか、そして、どのような活動がその悪影響を緩和するのかを理解する必要があることを示唆している。
ルーチンの重要性
これまでの研究で、職場で主体的に行動することは、企業にとって明らかに効率性が向上することに加え、従業員が仕事に意義を見出し、エンゲージメントと適応力が高まることが立証されている。しかし、それは日常のルーチンから逸脱することになり、従業員の認知的な蓄えを消耗させるのではないかと筆者らは考えた。
ルーチンが重要なのは、時間を効率的に使い、精神的エネルギーを節約するのに役立つからだ。たとえば、自転車に乗ることを考えてみてほしい。乗り始めたばかりの頃は、バランスを取ること、曲がる際に減速すること、ギアを切り替え、ブレーキをかけること、交通規則を守ること、そして自分と他者を守るために周囲の状況に常に注意を払うことには努力が必要だ。しかし、時間と練習を重ねるうちに、これらすべてがルーチンとなり、精神的な努力をあまり必要としなくなる。仕事のタスクも同様だ。同じタスクが同じ方法、同じ順序で繰り返し完了されると、次第にそのタスクは自動化され、精神的努力が少なくなる。
対照的に、タスクのプロアクティビティを発揮する、つまりコア業務を実行するためのより優れた、あるいはより効率的な方法に着手する人は、確立されたルーチンから逸脱せざるをえず、認知的な利益を犠牲にしてさらなる精神的負担を引き受けるという仮説を筆者らは立てた。その結果として精神的な疲労が大きくなり、これまでの研究では、それが集中力や情報処理能力、決断力を低下させることがわかっている。