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多国籍企業のメンタルヘルス施策が機能しづらい理由
従業員のメンタルヘルス問題は、世界中の企業に影響を及ぼしている。たとえば、不安や抑鬱に起因する生産性低下によって失われる労働時間は、世界全体で年間120億日分に上る。アジア10カ国のHR担当者を対象とした最近の調査では、この地域の従業員の82%が相当な精神的ストレスを抱えていることが明らかになった。海をはさんだ英国でも、同じく従業員のメンタルヘルスの不調により雇用主が年間510億ポンドを失っており、その約半分は、出勤していながら十分な働きができない「プレゼンティーイズム」に由来する。
特にリスクが高いのは、さまざまな地域をまたいで活動する大規模な多国籍企業である。組織構造が複雑であるうえ、民族的背景、信念、価値体系、メンタルヘルスに対する意識などが異なる、多様でグローバルな従業員に対応したウェルビーイング戦略やプログラムを構築しなければならないからだ。
多国籍企業の最高人事責任者(CHRO)や人材・組織文化担当の地域責任者、ウェルビーイングのリーダーは、ウェルネスアプリからカウンセリングサービスまでさまざまな介入策に大金を費やしているにもかかわらず、従業員に十分に利用されている様子がないと嘆いている。実際、職場のメンタルヘルスの取り組みやトレーニングの中には、参加者があまりに少ないため、企業が拡大や継続を取りやめるケースがある。プログラム導入当初にそそがれたエネルギーが水泡に帰しているのだ。
なぜ企業のこうしたメンタルヘルス施策は、従業員の関心を得られず、真の変化を生み出せないのだろうか。
筆者は60社以上のグローバル組織や地域組織にコンサルティングを提供した経験から、文化をまたぐメンタルヘルス施策における主な落とし穴は、おおむね3つに集約されると考えている。
第1の落とし穴は、多くのHR担当者が、取り組みの失敗を地域の文化的規範やスティグマ(負の烙印)のせいにしてしまうことだ。「この地域の人々はメンタルヘルスについて話したがらない」と決めてかかるが、実際は、別の根底的な問題が作用していることがある。第2は、実際にスティグマが影響している場合に、沈黙や無関心を目の当たりにして「特定層の従業員の意識は変えられない」と思い込んでしまうことだ。
第3は、職場のメンタルヘルスの重要性が広く認められてきている今日においてなお、多くのHRリーダーが、世界各地の従業員に適した取り組みを十分に戦略立てて計画できていないことである。一回限りのイベントでまるで魔法のように、マインドセットと行動が一変することを期待しているのだ。
幸いなことに筆者は、リーダーが以下で紹介する戦略を活用して、3つの落とし穴をすべてうまく切り抜けるのを見てきた。その結果、従業員エンゲージメントが強化され、組織のさまざまなレベルでメンタルヘルスの問題の認識が高まり、企業のリソースがより効果的に活用されるようになった。どれもが、ウェルビーイングを優先する組織文化の形成に貢献している。何より重要なのは、こうした取り組みは組織の利益に留まらず、メンタルヘルスの問題をさまざまな形で経験する従業員の支えになっていることだ。
先入観にとらわれず、思い込みを問い直す
企業がつまずく最初の問題は、メンタルヘルス施策が失敗する根底にある理由の読み違えだ。さまざまな国に点在するオフィスの地域文化に敏感になる必要がある多国籍企業だからこそ陥る失敗である。現地文化への配慮という善意のマインドセットゆえに、想定外の根本原因が見えなくなることがある。
一例を挙げよう。ある大手金融機関のアジア太平洋地域HR責任者は、メンタルヘルスをテーマにしたランチタイムトークの開催に不安を覚えていた。「アジアの人々はメンタルヘルスを話題にしませんよ。プライベートなことだから」と現地の人々に言われたことが念頭にあったのだ。彼女自身もアジア出身で、長年、「恥ずかしい」ことを話題にしないように社会的に刷り込まれてきたため、このステレオタイプを取り巻くより広い社会的背景に敏感だった。それでもメンタルヘルスの問題の重要性を理解していたので、同僚にも考えてほしいと考えていた。
HRチームはこのセッションを宣伝するために、社内で数多くのコミュニケーションを取ったが、参加したのは50人に留まった(150人の参加を期待していた)。イベントでは誰もあまり発言せず、おいしい食べ物や無料のコーヒーを用意したにもかかわらず、緊張した雰囲気は解けなかった。