隣人は隣人を真似る

 マーク・トウェインいわく「凡庸な人間には独自の意見というものがない。吟味や熟慮を重ねて自分の意見を持とうとはせずに、ひたすら隣人の意見を探り出し、これに盲従する」。

 普遍的であるとはいえ、人間の本質がもたらす影響は社会的かつ技術的な進歩によって増幅されやすい。端的に言えば、我々人間は生来に振る舞う機会が多ければ多いほど、その傾向が色濃くなっていくのだ。

 人間の強欲について考えてみよう。FRB(連邦準備制度理事会)のアラン・グリーンスパン議長は2002年の上院銀行委員会で、「数世代前と比べて、現代人が強欲になったわけではない。その欲を表現する手段が飛躍的に増えたのである」と述べている。

 カトリックが説く7つの大罪、すなわち「憤怒」「高慢」「嫉妬」「強欲」「暴食」「色欲」「怠惰」についても、まったく同じことがいえるだろう。いまの世には、怠惰すら満たす手段があふれ返っている。

 模倣もまた、人間の本質をなす要素の一つである。強欲ほど倫理上の影響度は小さいものの、一般的に社会、とりわけビジネスと金融に多大な影響を及ぼしている。この影響は、模倣の手段、あるいは模倣の対象となる手段が増大し、模倣のプロセスもスピードアップするなかで増大しつつある。

 1720年、バブルの先駆けとして悪名高い、イギリスで発生した南海泡沫会社事件[注1]は、隣人が隣人を真似ることが繰り返された結果、9カ月間も続いた。今日の先進国においては、だれもが他人の行動や考え、信念、求め、予想などを瞬時に知ることができる。さらに重要なことは、知りえた情報に基づいて行動できるということだ。