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再考:グローバル・ブランディング
グローバル・ブランディングについて、そろそろ再考すべき時期である。ハーバード・ビジネススクール教授のセオドア・レビットがHBRに寄稿した論文「地球市場は同質化へ向かう[注1]」で、「画一的な商品やサービスが流通する世界市場の登場」を高らかに宣言したのは1983年のことであり、すでに20年以上の歳月が流れた。
レビットはこの論考のなかで「単純化の経済」の有用性を説き、規格品を世界中で販売することで成長性を追求すべきであると主張した。彼は、ブランディングそのものを取り上げて議論したわけではないが、論文を読んだ経営者たちは「多国籍企業は、商品、包装、コミュニケーションを画一化し、文化の違いを越えて、最小公倍数的なポジショニングを確保すべきだ」と解釈した。
このような常識的な解釈に立つ限り、グローバル・ブランディングの目的とはコスト削減と顧客コミュニケーションの均一化となる。この思想は、80年代に多数の支持を集めた。そしてこの時期、いくつかの企業が国際競争に乗り出し、アメリカと日本の企業はグローバル・ブランドとグローバル・マーケティングを武器に海外市場へと進出した。
その後、グローバル経済の統合は進んだものの、グローバル・ブランディングの試みは、ほどなく鈍化した。最小公倍数的な思考の産物である画一的な商品とコミュニケーションは、ほとんどどこの国にも馴染まなかったからである。
そこで、経営者たちは方向転換し、今度はハイブリッド戦略に猛然と取り組み始めた。技術、生産、組織といった裏方作業においてスケール・メリットを発揮させつつ、商品特性、コミュニケーション、流通、販売手法をお国柄に合わせたのである。以来、このグローカル戦略がマーケティング界の主流になった。
その後、グローバル・ブランディングはさらに魅力を失った。なぜなら多国籍企業は、事実上、包囲されてしまったからである。街の通りにも、店舗のなかにも、至るところにその証拠が見られる。
コカ・コーラ、マクドナルド、ナイキといったブランドは、いまや反グローバル化運動における格好の標的である。スイスのダボスではマクドナルドの店舗のガラスが割られ、あるいはシアトルでコカ・コーラの缶が踏みつぶされた。ああした情景は、とうてい忘れることができない。