生体認証データの収集は従業員を不安にさせる
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サマリー:企業は、生体認証データを含む従業員データを活用して安全性や生産性を向上させようとしている。しかし、こうした監視やデータ収集は、従業員の不安やストレスを高め、エンゲージメントやパフォーマンスを損なうリス... もっと見るクもはらんでいる。法令遵守だけでなく、倫理的な配慮や透明性が不可欠だ。本稿では、生体認証データの収集におけるリスクと、従業員の安心感を保ちながらデータ活用を進めるための指針を提示する。 閉じる

従業員の生体認証データ収集のリスクを見落としていないか

 企業はいまや、従業員のプライバシーに深く立ち入る生体データを驚くほど大量に集めることができる。セキュリティ向上のために指紋や網膜などの生体認証データを収集する企業もあれば、アマゾン・ドットコムのように、AIを搭載した監視技術を使って労働者の動きを追跡・分析し、倉庫の安全や生産性を向上させている企業もある。労働者の健康全般を改善したい、あるいは保険料の割引を受けたいという理由から、従業員の健康状態まで知ろうとする企業もある。

 こうしたデータを集めるテクノロジーも、近年どんどん進歩して、コストも下がっている。ウェアラブル端末やモバイルデバイスは、歩数や心拍数を測定し、睡眠パターンの統計を作成する。「行動生体認証データ」を使えば、歩き方や姿勢に基づき人物を特定したり、その行動を分析したりすることもできる。

 これらのデータは、労働者をより健康で、より効率的にし、より安全で、より安心できる職場を生み出すと喧伝されている。

 たしかに、こうした慣行は組織に恩恵をもたらすが、労働者と企業の両方にとってのリスクを見落としている組織が実に多い。近く発表される筆者らの研究によれば、この種の監視のために雇用不安を覚えたり、心身への悪影響を訴えたりする労働者もいる。従業員のエンゲージメントと生産性が低下して、目先の恩恵が帳消しになる可能性もある。

 最近の訴訟は、さらに大きなリスクがあることを示唆している。米鉄道会社バーリントン・ノーザン・サンタフェ(BNSF)は2024年、数万人の運転手の指紋を不当に取得・保存して、イリノイ州の個人情報保護法に違反したとして起こされた集団訴訟で、計7500万ドルの和解金を支払うはめになった。米小口トラック運送のオールド・ドミニオン・フレート・ラインやガソリンスタンド併設型コンビニを運営するスピードウェイ、そしてメタ・プラットフォームズも、従業員の体に関するデータを適切な合意なく取得・使用したという訴えを起こされ、和解を強いられている。

 本稿では、雇用主がこのようなデータを倫理的に収集する方法だけでなく、収集すべきでない場合に関する指針を示す。さらに、従業員が雇用主から身体データの収集プログラムに参加するよう求められた時、どのように対処すべきかを提案する。

行きすぎた生体認証データ収集は従業員を不安にする

 今回の研究では主に、組織が従業員の生体認証データや健康データといった身体情報を収集することが、従業員に自分の立場の弱さや、将来に対する不安を覚えさせる原因になるかどうかを調べた。これらは「雇用不安」と呼ばれる主観的な感情だ。従業員は正式な発表がなくても、解雇やリストラ、異動の対象になることを心配する場合がある。雇用不安は心理的なダメージが大きく、ストレスや不安、仕事への満足度低下につながることがある。こうした心配を常に抱いていると、仕事に集中できなくなり、やる気がなくなり、生産性が低下するおそれがある。だが、マネジャーは数字を改善することにばかり意識が向いていて、従業員への影響に気づかないかもしれない。

 生体認証データの収集が、従業員に不安を抱かせる理由は2つある。まず、自分の身体情報という極めてプライベートな個人情報を組織に管理されるようになったと感じると、長期的な雇用に不安を覚えるようになる。筆者らはこのことを調べるため、米国の生命保険会社が、従業員が幅広い健康診断を受けることに同意している企業については、保険料の割引を適用する慣行について研究した。

 一見したところ、これは保険会社にとっても、雇用主にとっても、従業員にとってもよいことに思える。従業員の健康状態に関するインサイトは、保険会社にとってはリスクエクスポージャーの適切な管理に役立つうえ、雇用主にとっては経費節減と潜在的には生産性向上の役に立ち、従業員に予防的治療に積極的に取り組むよう促すことができる。