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ランチタイムの有効活用
2006年、ある出版社に就職した私は、2週間ほど米国オフィスで勤務することになった。米国で勤務するのは初めてで、見知らぬ職場文化に触れられる機会にワクワクした。
最も衝撃を受けたのは、ほとんどの人がデスクで一人でランチを食べていたことだった。
母国のインドでは、当たり前に(主に家から持参した)お弁当を同僚たちと一緒に食べていた。ランチの時間は、絆を強め、愚痴を言う時間であり、新しくできた店や、旅行計画、 週末の出来事について話したりして、仲間意識や帰属意識を育む時間だった。にぎやかで、無秩序で、楽しくて、上下関係が消えてしまうような場だった。私たちは毎日その時間を楽しみにしていた。
だから、一人で食べることには馴染みがなく、違和感があった。そして疑問が浮かんだ。いつもデスクで食べている人は、職場の友人と一緒に食べる人に負けず劣らず、同僚とのつながりを感じられるのだろうか。一緒に食事をすることで、特に上下関係にある人同士の間の壁を本当に取り払うことができるのだろうか。
それを探るために、調査やその道の専門家、『ハーバード・ビジネス・レビュー』(HBR)の読者に当たることにした。食事をともにすることを「コメンサリティ」と呼ぶが、それが持つ意味合いはさまざまであることがわかった。上下関係を取り払う力がある一方で、強化することもある。仲間意識を感じさせる(包摂)場合もあるが、時には異質さを意識させること(他者化)もある。それでも、適切な方法を取れば、職場で一緒に食事をすることは、人間関係や結束力を強化する効果的なツールになりうる。
「ランチプロジェクト」実験
自分自身の経験から、ふだんオフィスで一緒に食事をしない人々が、定期的にそれをするようになったらどうなるだろうかと考えた。何といっても、食事は歴史的に、よそ者をコミュニティに迎え入れる上で重要な役割を果たしてきた。研究によれば、コメンサリティは、人類に最も共通して見られる慣習の一つであり、それによって交流のニーズが満たされる。私の経験では、組織全体の社会的結びつきを強化する。
そこで私は、「ランチプロジェクト」と名づけた4週間にわたる実験に協力してくれるHBRの読者を募った。依頼内容はシンプルだ。ふだん職場で一人で食事をしている人なら、同僚数人に声をかけ、週に1回以上、一緒にランチを食べる。それを1カ月間続ける。豪華な食事である必要はなく、ふだん通りの昼食でよいのだ。そして、毎週の終わりに、以下の質問に回答してもらった。
(1)食事の後、どのように感じたか。
(2)週に2度以上一緒に食事ができた場合、週の終わりにどう感じたか。
(3)一緒にランチをしたことで、同僚との絆に何か影響はあったか。儀式(習慣)として続けていきたいと思うか。
大量の応募があったが、データの取りまとめやすさを考えて、参加人数を8人に抑えた。6人が女性、2人が男性と回答した。35~44歳が4人、45~64歳が4人だった。勤務地は、ギリシャ、フィリピン、ドイツ、UAE、米国、カナダ、フィンランドと世界中に散らばっていた。
もちろんこれは科学的調査ではない。もともと他の人とランチを食べたがっていた人々が参加を希望した可能性もあり、それ以外の欠点もあるだろう。しかし、彼らの反応を分析すると、いくつかの共通点が見つかった。
一緒に食べることのメリットと課題
食事を一緒に取ることには、絆を強化する力がある
英国のある調査では、回答者の76%が一緒に食事をすることが人と人との距離を縮める効果的な方法だと答えている。ある研究(今回のプロジェクトでもインタビューしているコーネル大学のケビン・クニフィンが率いる)では、消防士は一緒に食事をすることで互いを家族のように感じるようになったと答えている。クニフィンの研究では、一緒に食べることと、チームパフォーマンスとの間に有意な正の相関があることが示された。別の研究によれば、職場で一緒に食事をすることは、同僚との有意義な会話を促す理想的な環境となる。「食事を一緒に取ると、仕事での上下関係が一時的に緩和される可能性があるようだ」とクニフィンは教えてくれた。
ランチプロジェクトでの回答は、これらの結果を裏づけるものだった。一部の参加者は、「元気をもらった」と感じ、「食事が終わった後も、力が湧く感覚が長く持続した」と回答した。ある参加者は、ランチが単に栄養補給のためのものではなく、「いつの間にか、思いついたアイデアを出し合ったり、即興で問題を解決したり、サステナビリティやデジタル化、テクノロジーが今後どこへ向かっていくのかといったことを話し合ったりする場になっていた」と回答した。なぜもっと早くやらなかったのだろうとコメントした参加者もいた。
参加者たちは、実験期間中、同僚との関係を強化したようだ。ある一人は、最初は特に打ち解けようと世間話をするなど少しぎこちなかったが、食事を分け合ったり、個人的なニュースを話したりして、徐々に親しく話せるようになると、リラックスできるようになったと述べた。別の参加者は、最初の食事では「早く時間が過ぎればよいのに」と思ったが、数週間が経つにつれ、交流の頻度が増すと、互いに打ち解けていったという。
また別の参加者は、「形式ばらない雰囲気の中で一緒にテーブルを囲むことで、緊張がほぐれ、互いのつながりが深まった」と回答した。さらに別の参加者は、実験の終わりには、「それまではなかった互いへの信頼感と率直さ」を感じ、他部署の同僚を誘うことさえ考えているという。「ランチのおかげで、発想豊かなおしゃべりができ、チームの絆が深まった」
対照的に、ある参加者は、同僚と話が弾み、その同僚をもっと知ることができてよかったが、あまり会話が弾まなかった場合、疲れを感じるのではないか、誰とランチを食べるかによって違いがあるのではないかとコメントした。これは、ある意味で真実である。「コメンサリティは、文字通りテーブルに集まるという意味だが、これがよい体験となるかどうかは、誰が集まり、どのようなルールがその習慣を支配しているかに大きく左右される」とエクセター大学の人類学教授、ハリー G.ウェストは言う。
職場環境や国の文化的影響を受ける
現代の職場文化によって、食事を一緒に取ることはやや困難になっている。「市場経済は何よりも生産性を重視する。『時は金なり』の世界では、時間を割いて食事をともにする行為は、職場の要請と対立する」とウエストは説明してくれた。同様のパターンは回答の中にも見受けられた。ある参加者の回答だ。「先週はバーチャルでも対面でも一緒にランチができなかった。忙しかったので、出勤日にはピザを食べた。自分のオフィスでドアを閉めて仕事をしながら」。別の回答者は、「仕事が忙しかったので、週に1度しかやらなかった」と言い、「予定をカレンダーに入れる」必要があるかもしれないとつけ加えた。
職場で他の人と食事をするかどうかは、会社や業界の規範によっても異なる。その違いは、「職場の文化(ランチタイムは正当な休憩時間か、それとも時間の損失か)や労働時間の取り決め(昼休憩が与えられているか)、職務上の地位(デスクを離れる自由や手段があるか)、制度や文化的枠組みによることが多い」とフランスの国立農業・食料環境研究所の歴史家、マルティン・ブリューゲルは説明する。
たとえば、ホテルやレストラン、製造工場など交代で食事をする職場や、一緒に食事をとることがシステムに深く組み込まれている職場(消防署、軍隊)では、コメンサリティはもっと自然に行われる。
対照的に、会議が立て続けにある、または高い成果や金銭的成功を重視する職場(営業やコンサルティング)の従業員は、ランチタイムを使って他のタスクを行うため、日中のコメンサリティを敬遠しがちになる。たとえば、ある調査によると、米国では従業員の22%が仕事を終えられない不安から昼休みの間も仕事をし、20%が会議が多すぎて休憩を取る暇がなかった。
文化的背景もまた影響する。たとえばスペインでは、昼休み(シエスタ)が2時間から3時間にも及ぶことがあり、家に帰って家族と食事をしたり、昼寝をしたりしていた。フランスには、デスクで食事をすることを禁ずる法律まであった(コロナ禍最盛期に改正された)。対照的に、英国の労働者の28%が仕事場で食事をし、44%が一人でランチを食べている。欧州内で最も高い割合だが、米国ではさらに高く、労働者の62%が同じ回答をしている。
一緒に食事をすることで疎外感を覚える人もいる
「食事のあり方は、歴史的に、王族や廷臣から親子まで、社会的階層によって形づくられてきた部分がある」とウエストが教えてくれた。そのため、インドでのランチタイム経験に反して、職場で一緒に食事をすることで他者性を感じることがあるのではないかと考えた。
「中には自分の居場所を見つけたり、期待通りの行動をしたりすることに苦労する人もいる。ほんの数例を挙げれば、民族的にアウトサイダーの人や、社会階級やカーストが異なる人、神経障害がある人などだ」とウエストは言う。ブリューゲルも述べている。「一緒に食事をすることは、集団やコミュニティを築くのと同じくらい、線引きもする。年齢、移民のルーツ、主流の食慣習やテーブルマナーに不慣れであることも、違和感や社会的距離を助長する可能性がある」
ランチプロジェクトの参加者からも同じような声を聞いた。ある参加者は、「リラックスして楽しい食事もあったが、心配になることもあった。その違いは、相手の階層が自分と近いか遠いかによる」とコメントした。
リーダーはリスクを最小化する手助けができるのか、交流を強制することは強引と感じられるのかクニフィンに尋ねた。「企業のリーダーが、職場に従業員の飲食する物理的な場所を提供する(またはしない)ことは、トップが空気をつくる(またはつくらない)上で効果的であることは間違いない。専用のスペースがあってもなくても、企業が(管理職が参加する)食事の何割かを支援すると、ほとんどの従業員がそのような支援をありがたく思うだろう」とクニフィンは言う。さらに、もしその食事がある程度の頻度で、あまり時間を取らずに行われるのであれば、イベントというより日常的な習慣のように感じられやすいとも言う。
コメンサリティは、時間のかかる儀式のように感じられる
ランチプロジェクトの一部の参加者にとって、ルーチン化や習慣化は課題だった。たとえば、グローバルチームで働くある参加者は、同僚とのスケジュール調整が思った以上に難しかったという。別の参加者は、今後も続けたいが、会食は「意識的に計画」しなければならないだろうと述べた。また別の参加者は、今後も続けるには、カレンダーに「予定を入れる」ようにしなければならないだろうと述べた。こうした課題があっても、この儀式を続けないと回答した参加者はいなかった。
ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)教授で『なぜ一流ほど験を担ぐのか』の著者であるマイケル I. ノートンに、なぜプロジェクトのこの部分を難しく感じる人が多いのか聞いてみた。
「人は、『儀式』という言葉に、何か手の込んだ、時間のかかるものをイメージする傾向がある。宗教礼拝と結びつけるからだろう」と彼は言い、実は意義深い儀式ほど簡単で短いことが理解されていないとつけ加えた。「私と調査チームが愛を伝え合う儀式についてインタビューしたあるカップルは、食事のたびに、食器を合わせて鳴らすことだと答えた」とノートンは言う。彼は別の比喩として瞑想を挙げた。「毎日瞑想をするための1時間を割ければよいが、1分すら割けないことが多いのが現実だ。その代わりに、1日の始まりに、朝のコーヒーや紅茶で静寂と内省のひと時を持つようにしている人が多い」
そこでノートンに、同僚と集まることが、時間のかかる負担と感じないようにするには、どうすればよいか尋ねた。「無理にランチタイムにするよりも、1日のどこかで10分でも時間を見つけて集まることのほうが重要だ」。なぜいままでそのように考えたことがなかったのだろう。特に2006年当時、米国の同僚に30分のランチを期待するよりも、10分のコーヒーブレイクで集まろうと声をかけることもできたはずだ。
ランチプロジェクトが終わりに近づいたいま、これが私のおすすめだ。コーヒーやチャイ(あるいはクロワッサンやベーグル)をはさんでキャッチアップすることから始める。可能な時には、その時間を延ばす。こうした非公式の集まりで、より前向きで協力的な職場の人間関係が育まれ、同僚を職務の枠を超えて人間として知ることができるようになる。生涯の友さえできるかもしれない。