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直観は磨くことができる
2008年の時点で、配車サービス「ウーバー」のビジネスアイデアは、救いようがないものに見えた。規制面の逆風は強く、ビジネスモデルの有効性も未知数だった。それに、スマートフォンのアプリで見ず知らずの人のマイカーを呼び出して、それに乗せてもらうなどという発想は、多くの人に不安を感じさせずにはいられなかった。
どんなに経験豊富な投資家も、このビジネスに投資することには腰が引けていた。話を聞く限り、うまくいくアイデアとは思えなかったのだろう。しかし、初期にウーバーに投資した一握りの投資家たちだけは、それとは違うものを感じ取っていた。この人たちは、このアイデアに「確実性」があるとは言えないまでも、「明確性」があると感じていた。頭の中でピンとくるものがあったのだ。
当時、そうした投資家たちは、そのピンとくるものについて完全に言葉で説明することはできなかった。「ただそうわかる」としか言いようがなかった。
このような瞬時の認識を「本能的なひらめき」という言葉で表現する人が多い。それもあってか、企業幹部の意思決定を論じる人たちは、この種のひらめきを衝動的もしくは感情的なものと思い込んでいるケースが少なくない。しかし、現実には、それはもっと繊細でもっと強力なものだ。それは、「直観的洞察」とでも呼ぶべきプロセスの産物なのである。
筆者は、行動科学者としての研究、そして企業の上級幹部たちに対するコーチングの経験を通じて気づいたことがある。リーダーたちに向けて唱えられるアドバイスは、データの重要性を説くものがほとんどだが、世界でトップレベルの成果を上げているCEOたちはたいてい、それとはまったく異なるものに頼っている。それが直観的洞察である。
ことのほか大きな成果を上げているCEOたちは、そのような直観を生まれもっての超能力のようには考えていない。それを一つのスキルと位置づけ、磨きをかけてきたのだ。
直観的洞察とは(本当のところ)どのようなものなのか
筆者の研究では、「直観的洞察」を、経験とデータを統合する内面の──時には潜在意識下の──プロセスと定義している。それは、脳が膨大な量のパターン認識と感情的な記憶、状況にふさわしい対応力に基づいて、方向性を見出すプロセスと言える。この内面のプロセスは、最終的に「本能的なひらめき」という形で結実する。この状態に到達した瞬間、自分がどうすべきかがはっきりと理解できるのだ。
「直観的洞察」と「本能的なひらめき」という2つの概念は混同されやすいが、この両者を区別することは極めて重要だ。まとめると、次のようになる。
・直観的洞察とは、プロセスである。
・本能的なひらめきとは、プロセスの結果である。