優れたリーダーは「ありのままの自分」をさらけ出さない
Illustration by Anthony Zinonos
サマリー:「職場でありのままの自分をさらけ出そう」という考え方は広く称賛されてきた。しかし、経営幹部にとってそれは危険な幻想である。地位が高まるほど、気まぐれや偏見、盲点が組織全体に大きな影響を及ぼすからだ。有... もっと見る能なリーダーは決して「フィルターなし」の自分をさらけ出さない。本稿では、経営幹部が個人のアイデンティティと職業的アイデンティティとの境界を守るために実践すべき5つの方法を紹介する。 閉じる

職場での「自己表現」に関する誤解

 数ある企業スローガンのなかでも、「職場で自分のすべてをさらけ出そう」という呼びかけほど広く広まり、しかも悪い形で時代遅れになったものは少ない。もともとは心理的安全性やインクルージョンを推進するために生まれた表現だったが、やがて、行きすぎた透明性制約なしの自己表現を求める合言葉へと変貌していった。善意からのアドバイスであることが多いとはいえ、上級幹部の立場にある人がこの教えに従うのは、誤りであるだけでなく、危険な事態を引き起こしかねない。

 現場の従業員であれば、フィルターを通さない素の自分をある程度まで開示しても無害であり、歓迎されることさえある。結局のところ、仕事上のペルソナと自分を同一化するほうが、マルクス的な疎外感を味わうよりはましなことも多い。

 しかし、経営幹部層の仕事はグループセラピーでもなければ、ティックトックのライブ配信でもない。地位が高くなればなるほど、個人的な気まぐれや偏見、盲点が組織全体に影響を及ぼす可能性も高まる。そして、役職に求められるものと、自分の本質(それは、心理療法を何十年受けても理解しがたいかもしれないが)との間に明確な境界線を引くことが、ますます重要になるのである。

権力は人をおかしくする(そして抑制を失わせる)

 筆者が刊行予定の著書Don’t Be Yourself: Why Authenticity Is Overrated (and What to Do Instead)(未訳)で示しているように、数十年にわたる心理学的研究の結果、人は権力を手に入れると自分を抑制する力が弱まり、共感が損なわれ、自己管理や他者への責任感が減退し、さらにリーダーがすでに持っている有害な特性が増幅することが明らかになっている。

 ダッチャー・ケルトナーの「権力のパラドックス」は、地位を得た人々が、いざ権力を握るとそれを捨ててしまいがちであることを示している。この傾向が、「オーセンティシティ」(ありのままの自分でいること)をカルト的に崇拝する昨今の風潮と組み合わさると、取締役会を舞台にリアリティ番組のような光景が生み出される。

 現代のリーダーにとって、オーセンティシティはお気に入りの香水のようなものだ──大量に振りかけ、派手に演じて、それが本当の深みと勘違いされることもある。

 あるエグゼクティブは「フィルターなし」のリーダーシップスタイルを取り入れ、経済政策から職場文化まであらゆる分野で衝動的な思いつきを発信している。数十億ドル規模の意思決定を、シャワーを浴びながら浮かんできたひらめきのように扱っているのである。

 一方、個人崇拝的なアプローチに走る者もいる。スピリチュアルな専門用語と企業内の専門用語を混ぜ合わせたり、裸足の会議を開いたり、オフィスと家庭の境界を曖昧にしたコリビング事業を立ち上げたりするのだ。そうしたユートピア的な環境は、入念に整えられた美的空間や共有キッチン、モチベーションを高める言葉で埋め尽くされた壁を備えており、つながりという幻想をアピールするが、実際には見せかけのコミュニティを舞台に、巧妙に設計された孤独を生み出している。

 より洗練されたタイプの経営者でさえ、この傾向と無縁ではない。あるCEOは「企業のシャーマン」さながらに、資本主義や気候、企業価値についてみずからの哲学を発信する一方、父親のような情熱でチームのチャネルをマイクロマネジメントしている。個人的なイデオロギーとブランドのアイデンティティを混同し、政治とマーケティングと野心を、「パフォーマンスとしてのリーダーシップ」という一杯の熱いカップに注ぎ込む経営者もいる。

 こうした例は一部の個性的な人物だけの話ではなく、より大きな現象だ。個人のブランディングがプロフェッショナルとしての規律を凌駕すると、組織はリーダーの内なる独白を最前列の観客席で聞かされることになり、私たちはその声に従う以外に選択肢がなくなるのである。

個人的アイデンティティと職業的アイデンティティの境界が重要な理由

 本当の自分であることと、有能なリーダーであることは同じではない。実際、心理学の研究では、最も有能なリーダーはけっして「フィルターなし」の状態ではないことが明らかになっている。ここでは、経営幹部が個人的アイデンティティと職業的アイデンティティの間に境界線を引くべきである4つの理由を、エビデンスに基づいて紹介しよう。

1. 行きすぎた自己開示は権威を損なう

 リーダーは人前で自分の感情をさらけ出すことで報酬を得ているわけではない。彼らの任務は、特にプレッシャーのかかる状況で、明快さや有能さ、自信を示すことにある。感情的な弱さは適度にコントロールされた形であれば人間味を演出できるかもしれないが、普段から自己開示をしすぎると、混乱を生み、信頼を損ない、組織の安定を揺るがすことさえある。特にソーシャルメディア上で不適切な自己開示を繰り返していると、ついていく価値のあるリーダーだと周囲に思ってもらえなくなる。

 ティム・ジャッジの古典的なメタ分析によれば、否定的な感情を頻繁に見せるリーダーは、有能でなく、安定していないと見なされる。さらにこの研究は、最も有能なリーダーは協調的(礼儀正しい)で、誠実(自己抑制的)で、好奇心が強い(周囲の人を観客扱いせず、他者に興味を持っている)ことを示している。感情を見せることで信頼関係を築けるケースもあるが、透明性が行きすぎるとリーダーと同僚の境界が曖昧になり、(理性的な)自信と尊敬の源泉となる職業上の距離が損なわれてしまう。

 要するに、精神的に追い詰められていると感じたら、相談すべき相手はセラピストであって、全社員を集めた会議の場ではない。

2. 個人的な価値観は分断を招く

 現代の経営幹部は、地政学的な危機から文化論争まで、あらゆる問題について立場を表明するよう期待されることが増えている。しかし、ニューヨーク大学のアリソン・テイラーが名著Higher Ground(未訳)で論じたように、そのような道徳的な誇示はしばしば裏目に出て、統合ではなく分断を生み出す。

 価値観とは、その定義上、人々を二極化させるものである。リーダーは道徳的な羅針盤であるべきだという考え方は魅力的だが、職場は教会ではないし、従業員は信者ではない。対立を生む問題についてCEOが発言すれば、一部の人は喝采しても、疎外感を味わう人も出てくる。多様なイデオロギーが常態であるグローバル企業にとっては特に、この点は深刻な問題となる。

 日々のニュースに自分の信念を表明するよりも、職業上のさまざまな場面に普遍的に当てはまる価値観──公平性、透明性、敬意など──を大切にするほうが生産的だ。道徳的に組織を率いるために、自身の道徳観をアピールする必要はない。

3. 感情的知性は印象管理の一形態である

 ありのままの自分でいることと誠実さは混同されがちだが、リーダーシップにおいてより重要なのは感情的知性(EI)、つまり自分の感情をコントロールし、他者の感情に影響を与える能力である。皮肉なことに、感情的知性には「ありのままの自分でないこと」が求められる──少なくとも、オーセンティシティが「フィルターを通さないありのままの自分を表現すること」であるならば。

 メタ分析の研究は、概念的にも実証的にも、感情的知性と印象管理は密接に結びついていることを示している。実際、優秀なリーダーは、熟練したパフォーマーのように声のトーンや態度、メッセージをその場に合わせて調整できる。これは人を操るという意味ではなく、プロとして必要なことである。

「自分らしく」という言葉は高潔に聞こえるが、「素の自分」がすぐにいら立ち、傲慢で、衝動的だったらどうだろうか。たとえそれがあなたの真の姿だとしても、同僚たちにはあなたの気分の起伏につき合う義理はない。

 リーダーシップとは演技であり、即興の芝居で済ませるにはリスクが大きすぎる。

4. ダークサイドは誰にでもあるが、抑え込んでおくべきだ

 どんな人にもの部分はある。組織心理学では「ダークサイド」と呼ばれ、ストレスやプレッシャーの強い状況で現れるナルシシズムや被害妄想、攻撃性などの特性を指す。こうした特性は適度であれば適応的に働くが、度がすぎると有害になる。

 残念なことに、権力にはこうした特性を表出させる傾向がある。役職が上がるほど、最悪の本能のままに振る舞える自由度は高まっていく──それを積極的に管理しないかぎりは。

 研究によれば、多くの経営幹部が「過度に大胆になる」(サイコパス的だという婉曲表現)、「尊大な態度を取る」(ナルシシズムといえるレベルで)といったダークサイドの特性を示す。だからといって、彼らが悪人だというわけではないが、自然に湧き出る衝動は厳しく管理されるべきである。実際、リーダーの40%が1~2のダークサイド特性で高いスコアを示しており、みずからのキャリア(と部下のキャリア)を脱線させるリスクを抱えている。

「ありのままの自分」には、偏見や器の小ささ、夕食の席での口論に勝ちたい欲求も含まれている。家庭ではそれが許容されることもあるだろう(運がよければの話であり、我慢してくれる人には同情すべきだ)。しかし職場では、「ありのままの自分」は人事部にとっての悪夢だ。境界線を引くことは抑圧ではなく、責務なのである。

職場で境界線を引き、それを守る実践的な方法

 では、リーダーはどうすべきか。目標はロボットのように振る舞うことでも、不誠実な態度を取ることでもない(もっとも、世間の常識とは反対に、それがリーダーシップの有能さの証である場合も多いが)。目指すべきは、何を、どのタイミングで表出させるかを戦略的に考えることだ。

 研究によれば、リーダーのオーセンティシティは特に、固定された特性というよりも「帰属」──客観的に測定できるものではなく、他者がどう感じるか──である場合が多い。リーダーの言動に一貫性と予測可能性、共感(いずれも言葉と行動、想定される価値観の間に整合性があることを示す資質だ)があると、人々はそのリーダーを本物らしいと判断しやすい。

 しかし皮肉なことに、そうした認識を持たれるのは、抑制のない自己表現の結果ではなく、意図的な自己調整の結果であることが多い。最も「ありのままの自分を見せている」とみなされるリーダーは、たいていの場合、印象管理に多大な労力を費やし、感情表現を巧みに調整し、望ましくない衝動を抑えている。そういう意味で、オーセンティシティは高度に洗練された「メソッド演技」の一形態、つまり、他者から信じられる、信頼できると思われる自分を体現するために、時間をかけて磨いたパフォーマンスなのである。

 以下に、5つの実践法を紹介しよう。

1. 隠すのではなく、選び取る

 有能なリーダーはみずからのアイデンティティを抑え込むのではなく、ミッションの遂行に役立つ部分を厳選する。自社の価値観を強化するような個人的エピソードを共有するのは賢明だが、タウンホールで自分の離婚について不満を語るのは賢明ではない。

2. 人と関わる前に自己調整を

 自己認識と自己管理は有能なリーダーシップに不可欠な前提条件だ。反応する前に、立ち止まろう。答える前に、深呼吸をしよう。大事な局面では特に、冷静さが強さの証となる。

3. 価値観は演じるのではなく、体現する

 リンクトインでパフォーマンス的な投稿をするのはやめよう。デジタルの世界で美徳を発信すれば多数の「いいね」やシェアを集められるかもしれないが、ビジネス上の成果を高める戦略としては無意味であり、行動と事実の裏付けが伴わなければ逆効果になるリスクもある。代わりに、行動から価値観を推測してもらおう。一貫して積み重ねてきた倫理的な意思決定の記録は、どれほど多くの投稿よりも雄弁にあなたの価値観を伝えてくれる。

4. 私生活を守る

 経営幹部だからといって、24時間365日、常に「オン」でいる義務はない。プライベートの時間を守り、オンラインで自分の情報を明かしすぎず、仕事と生活の境界線を引くことで他の人の手本となろう。

5. エゴよりも共感を選ぶ

 優れたリーダーには、周囲の人に「自分のことを見てもらえている」と感じさせる力がある。そのためには、自分が話すよりも相手の話を聞き、指示するよりも質問をし、自分と異なる視点を受け入れる必要がある。これは、職場での「傾聴」が特にリーダーに重要であることを示す強力な科学的知見とも一致している。

仕事は「自分らしくある」ことではなく、「役立つ」ことである

 リーダーシップは権利ではなく役割である。リーダーには規律と先見性、そして、「自分の感情が組織の道徳的羅針盤ではない」と認める謙虚さが求められる。

「ありのままの自分」がやみくもに称賛される時代において、最も責任あるリーダーとは、前向きでプロフェッショナルな評判を築くこと──つまり、「ありのままの自分」を見せるのではなく、「最高の自分」を演じること──に多大な労力と注意を費やす人なのである。


"Why Leaders Should Bring Their Best Self - Not Their Whole Self - to Work," HBR.org, July 31, 2025.