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職場での「自己表現」に関する誤解
数ある企業スローガンのなかでも、「職場で自分のすべてをさらけ出そう」という呼びかけほど広く広まり、しかも悪い形で時代遅れになったものは少ない。もともとは心理的安全性やインクルージョンを推進するために生まれた表現だったが、やがて、行きすぎた透明性や制約なしの自己表現を求める合言葉へと変貌していった。善意からのアドバイスであることが多いとはいえ、上級幹部の立場にある人がこの教えに従うのは、誤りであるだけでなく、危険な事態を引き起こしかねない。
現場の従業員であれば、フィルターを通さない素の自分をある程度まで開示しても無害であり、歓迎されることさえある。結局のところ、仕事上のペルソナと自分を同一化するほうが、マルクス的な疎外感を味わうよりはましなことも多い。
しかし、経営幹部層の仕事はグループセラピーでもなければ、ティックトックのライブ配信でもない。地位が高くなればなるほど、個人的な気まぐれや偏見、盲点が組織全体に影響を及ぼす可能性も高まる。そして、役職に求められるものと、自分の本質(それは、心理療法を何十年受けても理解しがたいかもしれないが)との間に明確な境界線を引くことが、ますます重要になるのである。
権力は人をおかしくする(そして抑制を失わせる)
筆者が刊行予定の著書Don’t Be Yourself: Why Authenticity Is Overrated (and What to Do Instead)(未訳)で示しているように、数十年にわたる心理学的研究の結果、人は権力を手に入れると自分を抑制する力が弱まり、共感が損なわれ、自己管理や他者への責任感が減退し、さらにリーダーがすでに持っている有害な特性が増幅することが明らかになっている。
ダッチャー・ケルトナーの「権力のパラドックス」は、地位を得た人々が、いざ権力を握るとそれを捨ててしまいがちであることを示している。この傾向が、「オーセンティシティ」(ありのままの自分でいること)をカルト的に崇拝する昨今の風潮と組み合わさると、取締役会を舞台にリアリティ番組のような光景が生み出される。
現代のリーダーにとって、オーセンティシティはお気に入りの香水のようなものだ──大量に振りかけ、派手に演じて、それが本当の深みと勘違いされることもある。
あるエグゼクティブは「フィルターなし」のリーダーシップスタイルを取り入れ、経済政策から職場文化まであらゆる分野で衝動的な思いつきを発信している。数十億ドル規模の意思決定を、シャワーを浴びながら浮かんできたひらめきのように扱っているのである。
一方、個人崇拝的なアプローチに走る者もいる。スピリチュアルな専門用語と企業内の専門用語を混ぜ合わせたり、裸足の会議を開いたり、オフィスと家庭の境界を曖昧にしたコリビング事業を立ち上げたりするのだ。そうしたユートピア的な環境は、入念に整えられた美的空間や共有キッチン、モチベーションを高める言葉で埋め尽くされた壁を備えており、つながりという幻想をアピールするが、実際には見せかけのコミュニティを舞台に、巧妙に設計された孤独を生み出している。